2010年04月23日(金) |
我が子を殺めることを誰も望んでなどいない |
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家族に自殺されるということはどれほど大きな衝撃をもたらすものか。そんなこと言うまでもないだろう。ところが現実に家族を打ちのめすのは、自殺を図ったという事実ではなくて、その医療費が高額になるという現実なのである。このまま意識不明が続けばその医療費を払えない。だったらどうすればいいのか。自殺者の母親が取った最後の手段とは、、自分が殺人者になることでその借金地獄から家族を救うことだった。これを誰が責められようか。母親がどんな思いで息子の胸を刺したのか、我が子を殺めないといけない親のつらさはどんなものなのか。裁判官の頭では理解できないことも、市民の感覚ではよく理解できるのである。温情ではなく正当な判決だとオレは今回のこの判決を評価したい。読売新聞の記事を引用しよう。
自殺図り意識不明の長男刺殺、母親に猶予判決
裁判員
東京都内の病院で昨年7月、自殺を図って意識不明のまま入院していた長男(当時40歳)を刺殺したとして殺人罪に問われた千葉県我孫子市、無職和田京子被告(67)の裁判員裁判の判決が22日、東京地裁であった。
山口裕之裁判長は「短絡的な面はあった」としながら、「息子の自殺未遂という衝撃的な事実に直面し、精神的に追い込まれていく中で冷静な判断力を欠いたまま犯行に至っており、同情の余地が大きい」と述べ、懲役3年、執行猶予5年(求刑・懲役5年)を言い渡した。
山口裁判長は判決理由を朗読した後、証言台の前に立つ和田被告に「皆で思い悩んで決めた結論です。しかし、決して人を殺すことで事態を打開することを是認するものではありません。これが裁判員を含めた全員の思いです」と諭すように語りかけた。
うつむいたまま聞き入っていた和田被告は、最後に「ありがとうございました」と述べ、裁判官と裁判員が座る壇上に深々と一礼した後、何度もハンカチで目頭を押さえた。そして、証言台の右側の弁護人席に歩み寄り、「これから頑張ります」などと話し、また泣き崩れた。
判決によると、長男の正人さんは昨年7月15日、勤務先で自殺を図り、意識不明で病院に搬送された。健康保険組合から自殺の場合は保険の対象外になると告げられ、同月末までの医療費は約500万円に上ることが判明。
和田被告は、正人さんの妻が医師に「私が呼吸器を外します」と言って泣き崩れたと聞き、同月25日、長男一家を苦しませたくないとの思いから、病室のベッドに横たわる正人さんの左胸を出刃包丁で刺し、殺害した。(2010年4月23日00時29分 読売新聞)
誰かが手を下さなければならないとき、長男の嫁を殺人者にしたくなかった母親は、自分が手を下した。そして判決を受けてまた泣き崩れた。たとえ裁判所が許してもこの母親は「我が子を手に掛けた」という行為の重さを背負って生きていかなければならないからだ。なんと痛ましいことだろうか。
自殺は誰も幸せにはしない。正人さん、あなたが死ぬことを家族の誰が望んだだろうか。たとえ借金があったとしても死んでまで責任をとらなければならないことだったのだろうか。もしもこんな悲劇が待ってることを知っていたら、あなたは決して自殺などしなかっただろう。
この判決を決めるまでに裁判員たちはどれほど思い悩んだだろうか。真摯に話し合い、そして出した結論が懲役3年、執行猶予5年だったのである。オレはその判決に納得する。裁判員制度導入時にはオレはさまざまな不安を感じていた。しかし、こうした判決に接すると制度の導入はもしかしたらよいことだったのかも知れないと思うようになってきた。
これまで軽かった性犯罪の量刑は重くなったという。これも裁判員制度の功績だ。これまでの裁判官がいかにダメだったかということはどんどん明らかになっていくだろう。
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