2010年02月27日(土) |
勉強でゼニが稼げればどうなるか? |
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貧富の差がそのまま成績に反映し、金銭的に豊かな家の子弟しか入学試験の偏差値の高い大学に入れないという状況は果たして正しいのか。オレはこうした状況を変えたいと思っている。「受験勉強にはゼニが掛かる」という風潮はなんとしても是正したい。逆に「勉強したらゼニが稼げる」という仕組みにしたらどうかと思うのである。
深夜のコンビニの前にたむろして、鼻にピアスをし、タバコを吸ったりケンカや万引きをしているおよそ勉強とは縁のないクソどもも、高校生というだけで無償化の対象となり、公費で補助されることはどう考えても間違ってる。やる気のない連中のためにゼニを使う必要はない。
そんなことなら国公立大学を無償化して、努力して国公立大学に入ればタダになるという仕組みにした方がずっと効果があるはずだ。しかしそれ以上に効果を上げる方法がある。それはタダではなくて、ゼニを給付するという仕組みである。勉強をすればゼニも稼げるという仕組みにするのだ。
大学入試センター試験の成績優秀者が誰なのかは非公表である。これを改め、たとえば得点率第一位の生徒は名前を発表しちゃうのである。そして賞金1億円とかをプレゼントするのだ。おそらく灘高校や開成、東大寺学園などの秀才たちがその1億円をゲットするために目の色を変えて勉強するだろう。別に1位だけに限定しなくてもいい。ベスト10に入れば1000万円ずつ配るとかである。
ついでに国公立大学の授業料を廃止して、逆に奨学金が給付されるようにしちゃうのだ。東大や京大は年間100万円もらえるとか、他の国立大学は50万円もらえるというふうにすれば受験生の学習意欲は飛躍的に上昇するだろう。勉強こそがゼニになるという究極のバラマキ政策である。この政策のいいところは優秀な学生がバイトなどしなくてもよくなって純粋に勉強に打ち込めるようになるということである。
今も奨学金の制度はあるが返還の義務がある。大学卒業と同時に巨額の借金を背負うのである。それを返していくのは大変だ。給付にして返還不要にした方がすっきりする。その原資はじゃんじゃん国債を発行して捻出すればいいだろう。
こんなことを書くときっと「ふざけるな!」と叱られそうだが、実は勉強したらゼニが儲かることは事実なのである。現役で大学に入ってそのまま就職して社会人になるのと、一年間浪人するのとを比較した場合、年収1年分を損するだけではなく、予備校の授業料も払わないといけないわけで300〜400万円の損害である。これは何も特別なことではなくてすべての受験生に起きている事実なのだ。
そこに今回の報奨金制度を導入することで「一番ゼニになるのは勉強だ!」と中学生、高校生たちに思わせて学習の効果を高めるのである。
日本一野球の上手な高校生はあんなにマスコミから賞賛されるのに、日本一成績優秀な高校生が誰であるのかは全く知られていない。しかし、野球が日本一であることとセンター試験の成績が日本一であることを比較した場合、両者の価値はほとんど変わらないとオレは思うのである。いや、むしろ後者の方が賞賛されるべきだ。単なる娯楽である野球よりも勉強の方がはるかに価値があるからだ。
予備校が実施する模擬試験に賞金制度を導入して、1位になれば50万円くらい貰えるようになればみんな目の色を変えて真剣に取り組むだろう。バイトでゼニを稼ぐのではなくて、勉強でゼニを稼げる高校生が出現するとなかなか面白いような気がする。
貧しい家庭で育ち、親の苦労を見て育った少年の中には「ぼくが勉強して賞金で親を楽にするんだ!」と必死に親孝行する者が出てくるかも知れない。アルバイトで家計を助けても結局本人は勉強する時間を失って進学には大きなハンデになってしまう。しかし、勉強することで同時にゼニが手にはいるならばバイトしなくてもいい分より勉強に集中できるはずだ。ハングリーな若者が必死で勉強することで貧困から脱出することを目指すような社会になれば、今の沈滞した状況を打ち破ることができるのではないかとオレは期待するのである。
少なくとも貧富の差がそのまま次の世代の学歴水準に反映するような階級が固定化された社会をオレは望んでいない。努力が正当に評価され、その努力の結果名誉も富も手にはいるような、そんな社会が実現することを夢見ているのだ。受験勉強でゼニが稼げる社会というのはその第一歩になってくれるような気がするのである。あきれた暴論かも知れないが、毎日必死で勉強している受験生たちを身近に見ていると、その努力を社会があまり評価していないことを残念に思うのである。
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