2009年11月05日(木) |
卒業式を台無しにした教師たち |
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もしもオレの息子が門真市立第三中学校に通っていて、このひどい卒業式にオレが出席していたらどうしただろうか。オレはきっと大声で罵倒しただろう。「なんだこの卒業式は!おまえらいったい何考えてるんや!」と。まずは産経新聞の記事を見て欲しい。
「訓告処分は不当」国歌斉唱着席教諭が提訴 大阪・門真2009.11.2 19:19
大阪府門真市立第三中学校で昨春、卒業式の国歌斉唱時に卒業生ほぼ全員と教諭が集団で起立しなかった問題で、訓告処分とされた教諭、川口精吾さん(56)が2日、「思想信条と表現の自由を侵害した不当な処分」として、市などに処分取り消しと慰謝料計200万円を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
訴状によると、昨年3月に開かれた卒業式の国歌斉唱の際、担任席にいた8人全員と卒業生169人が着席。立っていたのは卒業生1人だけだった。市教委と府教委は教員らから事情聴取を行ったが、川口さんは4回目以降の聴取を拒否。校長の職務命令を受けても応じず、今年2月に市教委から訓告処分を受けた。
卒業式の国歌斉唱で、担任教師も生徒もみんな着席したまま、たった一人の生徒だけが起立しているという異常な光景を想像してみてくれ。その起立した一人の生徒にオレは拍手を贈りたい。そして、残りの169人の卒業証書を剥奪し、もしも高校に入学していたらそれをすべて無効にすべきだと訴えたい。この着席指導をした教師どもは卒業式の意味がわかってるのか。「訓告処分」で済んだことの寛大さを感謝すべきだろう。あんたたちのやったことは懲戒免職に相当するとオレは言いたいのである。
個人的に国旗や国家に対して嫌悪の感情を持つのは自由だ。反日教育の盛んな中国や韓国に行けば「日の丸」や「君が代」を嫌う人たちはいくらでもいるからだ。日本に暮らし、日本政府の公的サービスを受け、日本で学校を卒業し、今公立学校の教員である・・・つまり日本政府のおかげで給料をもらえている以上、自分たちの属する国の国旗や国歌に敬意を払うのは当然のことだろう。あんたたちのやってることは、たとえて言えば「餃子の王将」の従業員が、店で提供されてるあのおいしい餃子を「こんなものまずくて喰えませんわ」と道に投げ捨てるのと同じレベルの情けない行為なのである。情けないとは思わないのか。もしもあんたたちが「渇しても盗泉の水は飲まず!」などと言って給料を全額返上しているのなら、少しはその国歌への侮辱行為も認めてやらないこともないが、そんなことあり得ないだろう。
そしてオレがもう一つ頭に来るのは、その自分たちの反日思想のプロパガンダの手段として、生徒たちを洗脳して「国歌斉唱の時に着席」させていることである。それがどれほど間違ったことであるかわかってるのか。国歌を侮辱することを教師が率先して教えてどうするのだ。
オレは今回の「訓告処分」は不当だと思う。しかしその「不当」の意味はこの連中とは大きく違う。「不当に軽い!」という意味で不当だと思うのである。卒業式の時にみごとにほぼ全生徒の洗脳に成功し、たった一人の生徒を除く全員を国歌斉唱で着席させたその洗脳教育はたいしたものだ。そこまで心を一つにさせられるというのはまるで北朝鮮並の統制だ。そんなひどい偏向教育を行った責任を取らせて関係教員全員を懲戒免職にすべきだろう。
この川口教諭は「思想信条と表現の自由」が侵害されたと主張してるわけだが、そのあんたの思想信条や表現というのがそんなに立派なものなのか。オレはむしろ「思想信条と表現の自由」を侵害されたのは、国歌斉唱で「座ること」を強制された生徒たちだったと思うのである。彼らが国歌斉唱しようとしたのをさせなかったのはいったい誰なのか。それこそが権利の侵害ではないのか。
昭和30年代、祝日にはどの家にも日の丸が掲揚されていた。わが家も国旗を出していた。あの頃にも国旗や国歌を目の敵にするサヨクの連中がいたのかどうかはわからない。サヨクの連中が国旗や国歌を目の敵にして激しく攻撃しだしたのは、もはや人々が豊かになって生活支援闘争の必要がなくなった昭和50年代からである。みんなが豊かになって、戦うべき敵を失った時に新たな敵として祭り上げられ、スケープゴートにされたのが国旗や国歌だったのである。そんな仕組みも知らずに教師に洗脳されてその道具として使われる生徒たちがかわいそうでならない。
サヨクの方々が本来戦うべき敵とは、大企業優遇の税制やアメリカのいいなりになってる腰抜けの政府や、公共事業で私腹を肥やす議員どもではないのか。ところがそうした敵の姿はなかなかつかみにくいし、狡猾である。とこが国旗や国歌というのは具体的でかつわかりやすい。だからこういうものがスケープゴートにされたのである。実に馬鹿馬鹿しい話である。「日の丸」とはライジングサンのことであり、中国から見て東方、つまり日が昇る方向にある国という意味である。聖徳太子が遣隋使を派遣するときに「日出づる所の天子」と天皇陛下のことを称したことを考えてみればいい。「君が代」も同様に「君」という「大切な人一般」を指す言葉を「これは天皇を指す」と決めつけ、言いがかりをつけてるだけである。君が「自分にとって大切な人」であろうと「天皇」であろうとオレはどっちでもいいし、どっちでも解釈可能で、どちらも平和な世の中が恒久的に続くことを願っている歌である。どっかの国の血なまぐさい内容の歌詞の国歌と違ってはるかに「君が代」が上だとオレは思ってるぜ。
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