2009年04月25日(土) |
気づいていたのになぜ助けてくれなかったの? |
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昨日の日記の続きである。西淀川区で小学校4年の松本聖香ちゃんが虐待の末に殺された事件で、虐待されているという情報はちゃんと周囲に伝わっていたのである。なぜそれが活かされなかったのか。関係者たちのこの無責任な言動を見てくれ。アサヒコムからの引用だ。
「臭い、出て行け」虐待情報届かず 大阪・女児死亡2009年4月25日3時4分
大阪市西淀川区の市立佃西小学校4年、松本聖香(せいか)さん(9)が母親やその内縁の夫らに遺棄されたとされる事件で、今月3日、男性2人が子どもが虐待を受けているような声を聞き、西淀川署防犯協会の防犯支部長(67)に伝えていたことがわかった。支部長は「署に伝えた」と話すが、同署は「聖香さんに関する虐待の相談は一切なかった」としており、情報は生かされなかった。
大阪府内の測量事務所に勤める2人の証言によると、聖香さんのマンションに隣接する空き地の測量をしていた3日午後2〜3時ごろ、激しい物音を聞いたという。
「おまえの面倒なんかみたくないんや。嫌いなんや」「臭い。汚いから上がってくるな」「出て行け」。男の怒声が響く合間に「バシッ、バシッ」と平手打ちのような音がした。子どもが泣きながら「はい」「すみません」と力無く答えていた。物音は断続的に20分ほど続いたといい、2人は「こども110ばん 子どもたちを守る家」の旗が立つ支部長宅を訪ね、様子を伝えたという。
支部長の男性は24日、朝日新聞の取材に応じ、大阪府警西淀川署に報告したと明かしたが、その日時や相手は明言しなかった。一方で、昨年11月末と今年3月末、複数の近所の人から「せっかんしているのではないか。警察に話してほしい」などと求められ、その都度、同署幹部に直接面会するなどして伝えたという。署側は「また調べる」などと答えた、としている。
西淀川署は「3日の情報は署に届いていなかったのではないか。あったら記録に残るはずだが、そうした記録はない」。それ以前の虐待情報も「そういう話を聞いたという事実はない」と否定する。
聖香さんが通っていた市立佃西小でも、今年1月16日、養護教諭が左目の下にあざがあるのに気付いた。
「新しいお父さんにたたかれた」「宿題を終えるまでご飯を食べさせてもらえない」。聖香さんの訴えを聞いた担任の女性教諭が母親の美奈容疑者(34)に電話したが、「この子はあちこちに体をぶつける」などと説明された。その後、暴力を受けた兆候がなく、深刻にとらえなかったという。
しかし3月11日、聖香さんの欠席が始まる。学校が大阪市教委に事態を報告したのは、府警に捜索願が出された翌日の4月8日。この間、学校側は家庭訪問を2回申し出て、拒否されたが、児童相談所には通告しなかった。
踏み込んで家庭訪問をしなかった理由について、佃西小の堀一(ほり・いち)信幸校長は、「仕事で忙しい」などと言われた▽聖香さんが転校してきたばかりで保護者との人間関係ができていなかった▽母親は「風邪」とほぼ毎日、欠席を届けていた――などと釈明した。
この記事では4月3日の昼に激しい物音と罵声を聞いたということである。3月11日から欠席が始まって、それから3週間近く、誰にも助けを求めることができずに聖香ちゃんはどのような地獄の日々を送っていたのだろうか。持病の薬も与えてもらってなかったということは、もしかしたらその結果による「緩慢なる死」を狙っていたのかも知れない。考えようによってはなかなか思い通りに死んでくれない聖香ちゃんに対して、4月に入ってから虐待の程度がエスカレートしたとも考えられるのである。その過程は今後裁判の中で明らかにされるだろうが。
オレはこの事件を単なる「傷害致死」事件で裁いて欲しくない。このまま続くと死に至るという可能性がありながら虐待を続けていた場合は「殺人罪」で裁くべきだと思うのだ。そして長期間にわたって苦痛を与えたその残忍さを思えば、たとえ被害者は1名であっても死刑を考えていいと思うのである。
担任の女性教諭が電話したときに親は「この子はあちこちに体をぶつける」と答えたという。そのときになぜ本人の主張との食い違いを問いたださないのか。「虐待の疑いがありますので、児童相談所に通告します。場合によっては警察の方に来てもらうこともあります」と言えなかったのか。気になったときになぜすぐに家庭訪問しなかったのか。面会を拒否された場合は即座に児童相談所に連絡すべきじゃないのか。問題があるから会わせないのである。
20年以上も前のことだが、公立高校でクラス担任を持っていたとき、オレは気になる生徒があるとよく家庭訪問をした。生徒のことをしっかりと把握するにはそれが一番重要だからだ。喫煙で停学処分を受けた生徒の家に行ったとき、玄関先ですぐに母親がヘビースモーカーであることがわかった。家そのものがタバコ臭かったのである。「この母親は息子の喫煙は黙認だろうなあ」と思ったが案の定またしても学校での喫煙が見つかって二度目の停学となった。
幸いにしてオレは、自分が担任をしていた生徒が虐待に遭っていたという経験はない。(生徒が家庭内暴力で家族を虐待していたという例ならあったが。)ただ、もしもそんな事例に出会ったら何よりも先に生徒の避難場所を探すだろう。どこに行けば安全が確保できるか、それを考えるだろう。西淀川区のこの事件、もしもオレが隣人だったらたとえ誘拐と言われようが自分の家にかくまうだろう。そして警察に虐待を訴える。殺されてしまってからでは遅いのだ。
虐待されて殺される子どもたちの多くはまだ学校にも通わない幼児のうちに誰にも知られないままに殺されてしまう。今回は9歳だから少なくとも本人が被害を訴える手段を持っていたはずである。なぜ周囲の大人たちはその小さな叫びを理解してやれなかったのか。「新しいお父さんが怖い」とクラスメイトには語っていたという。母親に新しい男ができ、その男から虐待を受けるというのは昔からいくらでも起きているパターンじゃないか。もしも聖香ちゃんがもっと大きかったら性的虐待を受けたかも知れない。
救済するのが一日遅れれば、一日虐待を受ける時間が増えるのである。今も日本中で親からの虐待を受ける無数の子どもたちがいる。殺されないまでも、その寸前のところで心身に重大なダメージを受けて育つ子どもたちがいる。何度繰り返されてもこの状況は変わらない。「こども110ばん 子どもたちを守る家」の旗は何のために立てられているのか。子どもたちが駆け込み寺として活用できる場所は地域にどれだけあるのか。虐待を知りながら放置した周囲の大人たちよ、あなたがたも聖香ちゃんの死に間接的に手を下したことと同じである。なぜ救ってあげられなかったのか。
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