2009年02月13日(金) |
鉄道事故は100%はねられる方の責任です |
携帯用URL
| |
|
ブログランキングの投票いつもありがとうございます。クリックすれば今のランキングが何位かを確認できます。読者獲得のためにご協力をお願いします。
オレは鉄道での人身事故というのは100%はねられる方の責任だと思っている。ホームで突き落とされる殺人とか、視覚障害者が誤って線路に転落するなどの事故を除いて、自殺や下りている遮断機をくぐっての横断などではねられるのはすべてはねられる側が悪い。また本数が多い都会と違って、滅多に通過しない田舎で鉄道にはねられるなんてのはどう考えてもはねられる側の不注意だとオレは思うのである。だからこの裁判には納得がいかないのだ。
伊予鉄道が責任認め和解、女児死亡の鉄道事故 松山 2009.2.10 13:37
このニュースのトピックス:民事訴訟
小学2年の菅瑞稀ちゃん=当時(8)=が電車にはねられ死亡したのは、愛媛県と伊予鉄道(松山市)の安全管理の不備が原因だとして、松山市の両親が約7400万円の損害賠償を求めた訴訟は10日、同社が法的責任を認め解決金約3000万円を支払うことを条件に、松山地裁(山本剛史裁判長)で和解が成立した。
県などによると、県は法的責任はないが見舞金100万円を支払う。
訴状によると、瑞稀ちゃんは平成17年11月、松山市針田町の伊予鉄道郡中線で、線路脇の柵のない場所から線路を横切ろうとして事故に遭った。
原告側は、同社と県が「危険を予測できたのに、遮断機やガードレールなどの設備を設けなかった」と主張していた。
伊予鉄道のような地方の私鉄にとってこの3000万の支払いはかなり大きいはずである。大手私鉄ではないところはどこも生き残りに必死なのである。せんべいを売ってる銚子電鉄などはわずかな定期点検の費用を捻出するのも大変なのだ。伊予鉄道にとっても決してこの3000万円ははした金ではないはずである。それを払わされるのだ。それも線路に勝手に入ってきてはねられた子どもの補償としてである。むしろ伊予鉄道の方が被害者じゃないかとオレは思ってしまうのだ。
もちろん、子を持つ親として、我が子を失った悲しみが理解できないわけではない。それをどこかにぶつけたい、誰かの責任にしたいというのもある程度理解できる。しかし、その訴えは言いがかりのように思えてしまうのである。家の近くに線路があるなら、そして踏切でもないのに横切れるような場所があって大人たちが日常的にそこを利用してるとしたら、なおのこと子どもにはその危険を教えるべきではなかったのか。2歳や3歳の幼児ではない。8歳と言えば小学校2年生である。電車が来ていないかどうかをきちっと確かめて渡るだけの分別があるはずだ。それなのになぜ鉄道や県に責任があるのか。子どもとはいえ、踏切外の場所を渡ろうとして電車にはねられたというのは自己責任ではないのかとオレは思ってしまうのである。
「危険を予測できたのに、遮断機やガードレールなどの設備を設けなかった」
というのが訴えの理由だそうだが、遮断機やガードレールがなかったらいけないのか。鉄道線路の周囲は必ず厳重に塀を巡らせて決して人が近づけないようにしないといけないのか。
子どもは大人の行動を見てそれをマネする。おそらくその事故の場所というのは大人たちも線路を横切るような場所だったのだろう。そういう場所を放置したのは伊予鉄道の責任だろうか。いや、鉄道側としてはそこを通路としては使って欲しくなかったはずである。しかし近隣の人々が近道と言うことで勝手に利用していただけじゃないのか。そういうすべての事例に対してまで鉄道会社は責任を持たないといけないのか。オレはそうした理不尽さを感じるのである。
つい最近だが大阪で、女子高生が携帯電話で話しながら下りた遮断機をくぐってはねられるという事故があった。電車が接近している音にも気づかないなんてなんて不注意なんだとオレは思ってあきれる。遮断機が下りてるのに、警報機が鳴ってるのに渡るなんて臆病なオレには絶対にできない。そんな蛮勇なんて欲しくない。それは勇気とは呼ばない。そんなことをできるのはただの馬鹿である。
松山地裁はなぜ和解を勧めたのか。それもオレは理解に苦しむのだ。法の番人ならばなおのこと、その訴えが理不尽なモノであることを世間に示し、なんでも訴えようとする風潮に対して警鐘を鳴らすべきではなかったか。もしもオレが裁判官ならば決してこんな形で解決はしなかっただろうと思うのである。
←1位を目指しています! m(_ _)m 週刊アクセス庵もよろしく。 投票博物館