2008年12月08日(月) |
ロシア娘 金髪のアソコ |
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12月2日発売の週刊アサヒ芸能の表紙に印刷されていた見出しの中に、なんと「ロシア娘 金髪のアソコ」という文字があった。書店の店頭で雑誌を眺めていたオレはその文字を見て一瞬度肝を抜かれたのである。なんて卑猥な釣りコピーなんだ。そして世の中のスケベな男性諸氏にとってその雑誌を手にとって「金髪のアソコ」を確かめることはお約束の行動であり、別に自分が同様の行動をとったとしても特に批判を受けることはないだろうと思いつつも、オレは前後左右を確かめた。もしも周囲にオレを知ってる人間がいれば、オレがその雑誌を手に取ったことがバレてしまうからである。
幸い、オレの前後左右には知らない人しかいなかった。それでオレは安心してその雑誌を手に取ったのだが、なんとオレが見たかった「金髪のアソコ」は袋とじのページになっていたのである。購入してその袋とじを破らないとオレは金髪のアソコを拝むことはできないのである。なんということだ。それにしてもなんて卑怯なんだ。もしもこの袋とじの中味にある「金髪のアソコ」が期待はずれのものであったとしても、それがわかったときはすでに雑誌を購入してゼニを払った後なのである。そこで「ゼニを返せ!」と抗議することはできないのである。そう思うと、その袋とじの中味を確認せずに雑誌を購入する行為はきわめてリスクの高い行為に思えたのである。
オレはあきらめてその雑誌を目の前の棚に戻した。そして買うべきか買わざるべきかを考えた。見出しの中でもっとも大きな文字は「小泉毅はヒットマン」とあった。オレはあんまりあの事件に対して興味がない。「落合監督原ジャパン潰し全内幕」という記事もあったがこちらにも興味はない。「関根麻里と関根勤、父娘善哉24年」という記事にも全く興味はない。どうやらオレにとって気になるのは「金髪のアソコ」だけなのである。そのためにここでオレは大枚350円をはたくべきなのだろうか。
そんなことを書くとすぐに「あんたは株式投資で数十万、数百万を動かしてる投資家じゃないか。たった350円くらいたいしたことないだろ!」と言われそうである。しかし、オレの日常生活というのはきわめて質素に営まれているのであり、1円でも安いガソリンを求めて情報を収集し、わざわざ5%引きの日を狙ってダイエーやジャスコに行くというせこい人間なのである。そんなオレにとって、この350円という出費は実にもったいなく思えたのである。そういうわけでオレは結局この雑誌を買わなかったのである。
果たしてその「金髪のアソコ」というものは350円という大金を投じてまで見なければならないような価値があるものなのか。そもそも「アソコ」とはカラダのどの部位なのか。帰宅してからオレはちょっと気になってグーグルで「アソコ」という言葉を検索してみた。するとそこにはちょっとここでは書けないような文字がズラリと並んだのである。どうやら「アソコ」というのはかなりわいせつなものであることが判明した。調子に乗ったオレは「アソコ」「画像」というキーワードで検索を掛けてみた。するとたちまちそこには日本の法律で明らかに規制の対象であるような画像が表示されるWEBサイトがズラリと並んだのである。なんということだ。こんなものを見るためにオレは検索しているのじゃない。オレが知りたいのは「アソコ」という言葉の意味なのである。オレが見たいのはこんなグロテスクな画像なんかじゃない。もっと美しく夢のある世界である。それなのに画面には見るだけで目がつぶれてしまいそうな過激でわいせつなものが次々と出てくるのである。そんなものは見たくないのである。
ここでオレは学問的な検証のためにはちゃんとした辞書を引くべきだろうと言うことに気がついて「広辞苑」で「アソコ」を引いてみた。しかしカタカナの「アソコ」という語は見出し語には存在せず、代わりに「あそこ」という語があって、その意味は「自分からも相手からも遠い場所を指示する」とあった。女性のカラダにある、自分からも相手からも遠い場所っていったいどこなんだ。そういう説明ではますますわからなくなってしまうのである。
しかしなんとなくわかってきたことは、この「アソコ」という語が男性女性それぞれの性器やその周辺部位を指している隠語であり、直接「ち○ぽ」や「ま○こ」などの語を発することがはばかられるために遠回しに言うときに使われる語であるということだった。気になってもっと他の意味はないのかと調べてみた。以前にオレが「蛇にピアス」という小説を読んだときにそこに「マンコ」という語が出てきて、それはオレにとって意味不明の単語だったので調べてみたところ、沖縄に存在する「漫湖」(まんこ)という湖のことであることがわかったということがあったのを思い出したのである。もしかしたらこの「アソコ」というのも地名かも知れない。「阿蘇湖」という湖があるのかも知れないし、あるいは「アソコ」ではなくて正しくは「アソウコ」であり、「麻生湖」や「麻生子」という漢字を当てるのかも知れない。麻生首相お膝元の湖や、麻生首相の秘密の隠し子を暗示する隠語かも知れないと思ったからである。しかし、それらしい検索結果は出てこなかった。どうやらオレの考え過ぎだったようである。
たまたまオレが目にした雑誌表紙の「金髪のアソコ」というフレーズから、オレはこういう一連のことを考え、そして気になったことを丁寧にネットで調べたりしたのだが世間の普通の男性はオレのようにじっくり考えることもなく問答無用でこの雑誌を購入するのだろう。そこにある袋とじの中の「金髪のアソコ」を求めて。それほど「金髪のアソコ」というフレーズのインパクトは大きいのである。オレのようなまじめな人間でさえも「うっひょ〜」と驚いてしまったくらいだから日頃から頭の中を卑猥な妄想で埋め尽くしてるような情けない輩にとっては「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ〜」くらいの衝撃であるに違いない。そういう人たちにとってこの反則のような見出しの与える販促効果は絶大なものである。
そこでオレは思うのだ。少なくとも表紙に書く雑誌の見出し文字としてこの「金髪のアソコ」という文字はフェアじゃないと。あまりにも下品すぎないかということなんだ。まじめな社会派の記事も載せていることがある雑誌として、あまりにもその見出しの付け方は志が低すぎるのじゃないかとオレは感じたのだ。なんとかして一冊でも売りたいという気持ちは理解できないこともない。しかし、だからといってこんな扇情的な見出しを付けることが果たして許されるだろうか。こんな見出しのある雑誌が大手新聞や電車の中吊り広告で堂々と宣伝され、電車の中吊りに広告に「金髪のアソコ」の文字が躍るとすれば、それはやはり問題ではないか。その電車には塾に通う小学生も乗るだろう。その小学生はふと見上げた中吊り広告に「金髪のアソコ」という文字を発見する。「アソコっていったいどこのことだろう。金髪とあるから頭のことだろうか?」と誤解するかも知れない。彼が正しい知識に到達できるのはいつのことだろうか。
ここまで書いたものを読み返して、オレは今日の日記があまりにもつまらない内容であることに気がつき、深く脱力したのである。オレの今日のくだらない日記なんかよりも、その袋とじ特集の「金髪のアソコ」の方がはるかに価値ある存在であることは間違いない。オレはそのことを断言したい。それにしてもあの袋とじの中味はどんな内容だったのだろう。オレはそれが気になって眠れないのだった。
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