2008年08月22日(金) |
「おまえはクビだ!」と我が子を叩いた母親 |
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この世にはいろんな親がいる。ちゃんと子どもの世話をする親ばかりではない。育児放棄して男と遊び回ってる母親もいるだろうし、そんな妻の代わりにせっせと子育てをする父親もいるだろう。問題はすべての子どもたちが最低限のケアを受けられるとは限らないということである。子どもたちが受け取る愛情の量にはかなりの個人差がある。そして、親の愛情を期待できない子どもたちにとって、その代わりの愛情が得られる可能性はきわめて薄いということなのだ。
オレは思うのだが、そういう親からは国が強制的に子どもを取り上げて、施設に入れて、時が来ればしかるべき里親を捜して養子縁組できるようなそんな仕組みは作れないものかと。能力のない親に子育てを期待するのではなくて、最初からそういう親をあてにしないでなんとかする方法を考えないといけないのではないかと思うのである。
6歳、捨てられてもたたかれても母をかばった 埼玉 2008年8月21日6時9分
埼玉県三郷市の民家で3月、幼児3人が置き去りにされ、島村健太ちゃん(当時2)が死亡、双子の長女が負傷した事件で、保護責任者遺棄致死傷の罪に問われた母親の無職島村恵美被告(30)=同市早稲田2丁目=の初公判が20日、さいたま地裁であり、島村被告は起訴事実を大筋で認めた。動機については「育児の煩わしさから逃れ、交際男性との同棲(どうせい)生活を送るため」と指摘した検察側の主張に対し、「育児放棄になりやすい状況だった」とし、複合的な要因によると主張した。
検察側は冒頭陳述などで、島村被告は2月、双子の父親で名古屋に単身赴任中だった内縁の夫とは別に、近くの居酒屋店員と交際を開始。店員と2人で近くに借りたマンションで同棲したいと考えるようになり、3月3日ごろ、「ママはもう戻らない。後はよろしく。(妹と弟の)面倒見てね。おなかがすいたら電話をかけて」と言い残し、子どもを置き去りにしてマンションに移り住んだ、と指摘。
事件当時6歳だった長男が1日数十回、「弟や妹が泣いている」と電話で助けを求めたが、島村被告はせいぜい1日1〜2回、子どもたちのいる祖父母宅の玄関先に行って、ハンバーガーやパンなどの出来合いの食べ物を長男に渡すだけで、おむつ交換などをしなかったと指摘。児童相談所職員などとの面会も拒み続け、「20歳前半から育児に追われていたので、一人の女として自由になりたい」と供述したという。
一方、弁護側は、健太ちゃんが夜泣きがひどかったことや内縁の夫や実母らの支えもなく、「育児放棄になりやすい状況だった」と主張。「交際を始めたばかりの男性に癒やしを求め、育児放棄がエスカレートした」と述べた。
起訴状によると、島村被告は店員と同居するため、3月3日以降、間借りしていた祖父母宅の3階の部屋に3人を放置。12日に健太ちゃんを脱水症や低栄養で餓死させ、長女に脱水症などで10日間のけがを負わせたとされる。
◇
この日、長い髪を後ろで結い、グレーのトレーナーにジャージー姿で入廷した島村被告。裁判長の問いかけに、小声で答え、うつむきながら落ち着かない様子だったが、検察側が長男の供述を紹介すると、あふれる涙をこらえることはできなかった。
「ママが作ったシチューやカレーが大好き」という長男。母親が去った感想を検察官が聞くと「我慢できなかった。さびしかったよ。何度も電話したけど全然出ない」と答えたという。
ゴミが散乱する部屋で出来合いのパンやハンバーガー、お菓子を買い与えられる日々。「残っていたご飯を食べようとしたら腐っていた。冷蔵庫もないから」。当時2歳の妹と弟を一生懸命笑わせようとしたが、長女が笑っても、「弟(健太ちゃん)はずっと泣いていた」という。
健太ちゃんの死を目の前にした島村被告は「お前はクビだ」と長男を平手で一発たたいたという。それでも長男は「本当に全部ボクが悪い。面倒みろと言われていたのに、全然お菓子とかあげないで」と母親をかばったという。
6歳の子どもにどうやって2歳の双子の世話ができるだろうか。自分が母親から捨てられたという事実を、彼はどんな気持ちで受け止めたのだろうか。この世で唯一、自分を無条件に愛してくれるはずの存在から遺棄されてしまうということがどれほど悲しいことだろうか。
ただ、この事件には同情の余地もある。それは、この祖父母たちがどのようにこの子どもたちの養育に関わっていたかと言うことなのだ。島村被告の実母は、自分の娘が子どもたちを捨てて出奔するという異常事態が発生してるのに、どうして手をさしのべなかったのか。自分たちの家に住んでいた家族のことに、どうしてあんたたち夫婦は注意を払わなかったのか。遺棄された子どもが死んでいたのに気がつかなかったのか。オレは不思議で仕方がないのである。確かに子どもたちを捨てて出奔した母親の責任は大きい。しかし、母親が出て行ったのは、自分の実母がなんとかしてくれると思っていたのではないか。もしかしてあんたたち親子の関係もすでに崩壊していたのか。だから祖父母もこの子どもたちに対してネグレクトという態度をとったのかとオレは思うのである。
この世にはいろんな親がいる。そしてオレは、貧しい生活の中でもちゃんと自分を育ててくれた親のもとに生まれてこれたことは限りなく幸福なことだったのだと知る。自分が我が子に十分な愛情を注げていない親であることを反省する。生まれてくる子どもたちは親を選んで生まれてくることはできない。祝福されて生まれてくる命もあれば、生まれた瞬間に誰も引き取ってくれないことがわかった代理出産児もいる。そうした宿命というのは残酷でかつ不可避である。無力なオレはそんなさまざまな人生を前にして、ただ呆然として立ちつくすことしかできないのである。
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