2008年06月04日(水) |
書評『食堂かたつむり』〜小川糸 |
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美味しい食事は人を幸福にする。これはまぎれもない真実だ。悲しいときに食べたものの味が砂を噛むように無味乾燥なものであるのは、心が味覚に影響しているまぎれもない証拠である。だったら、とびっきりの美味しい料理は傷ついた心を癒すことができるのではないだろうか。そんな夢をこめた美食小説がこの作品である。
美食小説といえば、海老沢泰久の「美味礼賛」をオレは思い浮かべる。オレがこれまでに読んだことのある最高の美食小説である。その作品をオレはワクワクしながら最後まで読んだ。主人公、辻静雄が試練を乗り越えて成長していくビルディングストーリーとして「美味礼賛」は描かれていた。
一つ一つの料理の細部を描くこの『食堂かたつむり』ももしかしたら美食小説に分類されるのかも知れない。しかし、その味わいは全く違う。読み終えた後で誰かにおいしいものを作ってあげたくなるような、そんな不思議な感動を呼び起こすのだ。
オレはこの小川糸さんという作家を全く知らなかった。図書館司書の方に勧められて読んだ。彼女はオレがどんな本を好きなのかをちゃんとわかってアドバイスしてくれる、得難いアドバイザーである。面白かったので一日で読んでしまった。オレは読み終えた後でとても優しい気持ちになって、自分がこれまでに食べたたくさんのおいしいものを静かに思い出していた。最後の場面では不覚にも予期せぬ涙が出た。決して流ちょうとは言えないその文体も、かなり荒削りのままの登場人物の設定も、すべてがオレには新鮮な魅力のように思えたのである。
スピッツの草野正宗氏は、本の帯にこのような紹介文を載せている。
「食べる」ことは愛することであり、愛されることであり、つまり生きることなんだって改めて教えられる素敵な物語でした。
我々は食事の時になぜ「いただきます!」と言うのか。それは生きるために日々、他のものたちの命を奪っているからではないのか。自分が生きるためには他の動植物の生を奪わなければならない。そうして奪った以上、それを貴重なものとして美味しくいただく義務が我々にはあるのではないか。その命に対して限りない感謝を込めて我々は手を合わせて「いただきます」と唱えるのでないか。クジラも、ふぐも、我々は深い感謝を込めて「いただく」のだ。
おいしい食事の記憶の数々は、同時にその時間を共有した相手を静かに思い出すことでもある。これまでに自分が食べてきた一つ一つのおいしいものを思い出しながら、もう二度と手に入らなくなった懐かしい味を思い出し、もう二度と食事を共にすることのない相手のことを思い出す。人が人生の中で食事をすることのできる回数は有限だ。自分の残りの生きていられる日数×3くらいしかない。この小説はその貴重な回数を無駄に消費することへの戒めのような気がしてならない。オレは「安くて空腹さえ満たせればそれでいい」という安易な食事スタイルを深く反省させられるのだ。
小学生の頃、母が朝早くから働いていたせいでオレがお弁当を作ってもらえるのは運動会や遠足の時だけだった。きれいに詰められたお弁当箱がとても嬉しかったことを思い出す。お弁当箱の中は一つの小宇宙だった。オレはおいしい卵焼きをいつも最後に食べたことを思い出す。一番好きなもので食事を締めくくるために。
誰かのために美味しい料理を作ってあげることを夢見る人に、この作品は間違いなくお薦めである。もちろんオレのようにただ食べることが好きなオッサンにとっても。そして文学好きなすべての人にとっても。
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