2008年04月17日(木) |
東京都は公費で塾を支援します! |
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年収200万円以下の低所得世帯を対象に、子どもが高校や大学を受験するために学習塾に通う費用を無利子で貸し付ける制度を東京都が始めるらしい。オレは朝日新聞でこのニュースを読んで激しく脱力した。誰がこんな仕組みを考えついたのかわからないのだが、それにしても、税金を使ってここまで馬鹿なことをやれるその無邪気さにオレはあきれてしまうのである。こんなプランを考える連中は教育の構造的な問題が全くわかっていないのである。それにしても東京都はなんて気前がいいんだ。新銀行東京では中小企業に無担保でゼニを1000億円もばらまいて回収不能になり、今度はビンボー人に「これで塾に行ってください」とゼニを配る。チョー緊縮財政であらゆるものが削減される大阪とはエラい違いだぜ!
なぜ子どもたちは塾に行くのか。それは公教育が崩壊しているからである。小学校の多くは学級崩壊していて満足に授業が成立していない。その理由は、ちゃんと机に向かって50分静かに授業を受けるという基本的なマナーの身に付いていない馬鹿ガキがたくさん入学してくるからである。傍若無人なくそガキは老教師や怖くない女教師の授業を妨害したりする。なぜそんなことになるかというと、公教育である公立の小学校、中学校では生徒を選別できないために、家庭でろくなしつけを受けていない野獣のようなクソガキまで引き受けないといけないからだ。しかも「教育を受ける権利」なんて人権派の弁護士が主張したりするので、そんなクソガキどもを排除することもできない。学校が教育の場として機能していないことが問題なのである。学校で勉強できないから塾で勉強するのだ。
体罰が教育の場で禁止されてる以上、そうしたクソガキを黙らせる手段は今の学校には存在しない。他の生徒の学習権を奪う悪質なクソガキに対して、オレは罰金制度の導入も一案だと思っている。もちろん批判はあるだろう。しかし、体罰が使えない状況下で、いうことをきかないクソガキをどうやって黙らせられるのか。子が授業を妨害すれば親が罰金を払わなくてはならず、払わなかったら小学生であろうと留置場に拘留されるという仕組みにすれば効果は上がるはずだ。「そんなことなら体罰の方がマシだ!」と親たちは思うだろう。
塾に行く資金を無利子で貸し付ける・・・ということは、そのゼニは将来に本人が返さないといけないわけで、踏み倒しが起きなかったら東京都の負担はないことになる。しかし、この補助によって塾に通える生徒が増えるならば、それは公的資金で塾を援助してるのと同じことである。つまり、この仕組みは貧困家庭の救済ではなくて、貧困家庭救済に名を借りた、塾への補助金制度みたいなものである。東京都の公立中学3年生7万3000人中、経済的理由で塾に通えない生徒約1800人に年15万円を無利子で貸し付けるという。高校3年生には上限を900人として20万円を貸し付けるとか。ふざけてるのは大学や専門学校の受験料の融資も検討されていて、合格した場合は返済を免除するという方針という部分だ。そんな個人的なことを公費で補助しようとしてることのばかばかしさにオレはあきれるのである。
公費を投入するのならこんな塾への補助金システムみたいなヘンテコな制度を作るのじゃなくて、公立学校を補助してやればいいじゃないか。進学補習や不振者指導に力を入れる熱意のある教師にちゃんと時間外手当が支払われるようにすべきじゃないか。塾通いを盛んにすれば、公教育の崩壊がますます進むということがどうして東京都の連中にはわからないのだろうか。「塾に行けば成績が上がる」のではなく、「きちっと勉強して授業を理解すれば成績が上がる」のである。年収200万以下の家庭の子どもの学力が低いのは、そうした家庭には子どもの宿題も教えられない親が多いからである。親の教育レベルと収入レベルの間には高い相関性がある。
ただ、その解決を公費で塾に行かせるなんて方向に求めるのは間違っている。親の学力に格差がある以上、遺伝的にその形質を受け継いでいてしかも環境要因も加われば子どもの学力にその差が受け継がれるのは当然じゃないか。なぜそこに問題があるのか。母親が美人ならば娘も美人になり、親がゴミをそこらにポイ捨てするような公共心のない親なら子どももそういう子どもになる。母親が喫煙していれば中学生の息子も喫煙する。子はしょせん親程度の子どもにしかなれないのだ。カエルの子はカエルというのは千年不変の真理であり、そのことのどこが間違ってるのか。子が親を超えたいと思ったら本人が必死で努力すればいいのである。全く努力しなかったら親よりもさらに馬鹿になる場合もある、これもまた真理である。
親に教育力が無くても、学校できちっと面倒を見てやって学力をつけさせるというのは小学校の教師の役割である。クラスの生徒全員に九九や分数を理解させられずに落ちこぼれが出るとすれば、その責任はどこにあるのか。教師の指導力が足りない場合もあれば、生徒がその程度のことも理解できないほど馬鹿であるという場合もあるだろう。このような実態が存在するとして、「できない子を塾に行かせましょう」という発想は、東京都が公教育の敗北を認めているのである。自分たちの提供する商品がダメなものだということを自分たちが認めているから「公費で塾通いさせる」なんて発想が生まれるのだ。こんな情けない方針に対して、都教委はなぜ反対しないのか。
「塾に行けば成績が上がる」のはなぜか。それまで家でゲームをしたりして遊んでいた時間が学習時間に振り替わるわけで、トータルの学習時間が増加するから成績が上昇するのである。つまり「塾に行ったから」ではなく「勉強時間が増えたから」である。塾に行かなくても自分で自主的にその勉強をすることができれば同じことなのだ。自分の家が貧乏なのは親に学歴がなくて高収入の職業につけなかったからであり、自分ががんばって勉強することで高い学歴を身につけ、努力によって階級上昇を果たせばそれでいいのじゃないか。
オレの両親は中卒だ。だからオレの親は露天商だった。オレは塾になんか行ったこともないし、予備校にももちろん通わなかった。授業料の安い国立大学だから通うことができたわけで、年収200万以下の我が家にオレを私学に通わせる余裕などあるはずがなかった。私立中学受験なんて考えることもなくオレは公立の中学、高校に進んだ。そんな経験を持つオレだから敢えて言う。公費助成など全く必要ないと。勉強するしないはすべて本人の問題だ。本人にやる気があって、きちっと学校での授業を100%理解していれば、センター試験なんて屁でもない。あんなに易しい問題なのになぜセンター試験の全国平均はかくも低いのか。世の中の受験生の多くはほとんど勉強なんかしていないからだ。模試の採点をしてるとあまりのお馬鹿さに笑いたくなるような答案に遭遇すると予備校に勤務する友人は語る。馬鹿に向かって「このゼニで塾に行け」と公費を貸し付けたところで踏み倒されるだけである。「君たちはビンボーで塾に行く余裕がないかも知れない。しかし、塾に行ったらすべての人が成績が伸びる訳ではない。やるやらないは結局本人次第なんだ!」と教師は生徒に向かって語るべきだろう。
公立高校に勤務していた頃、オレはゼニにもならない進学補習を早朝に行ったことがある。すると「キミが勝手に補習をやると、まるでぼくたちがさぼってるみたいに生徒から思われる。家庭の事情で補習をやれない教員の事情も考えて欲しい」と同僚から文句を言われたことがある。オレは激しく反発した。「いま大学に入りたいと願う生徒がいて、早起きしてでも勉強しようと言う意欲を持ってるならば、それに応えてやるのが教師のつとめじゃないんですか?」とオレは反発したのだ。昔のオレは集団にとけ込むことも長い物に巻かれることも拒否するとんがったただの若造だった。きっと今もそれほど変わっていないのだろう。だからこの暴言コラムを書き、日々社会に対して毒舌を吐いてるわけだ。人間というのはつくづく進歩しないものである。
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