2008年04月06日(日) |
日本一の先生を呼ぶ方法 |
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大阪府知事に就任した橋下徹知事は教育に関心が深いみたいで、府立高校の学区制をなくせ(←そうすれば橋下知事の出身校の北野が大阪中の秀才を集めたスーパーハイスクールになれるかも知れない)などといろんなアイデアをお持ちのようである。それ自体はとてもいいことだと思うのだが、元大阪府の公立学校の教員だったオレとしては、今の教員のやる気を無くしているもの、それはおそらく待遇の悪さと気まぐれな人事にあるとオレは思っている。その問題を理解せずにこんな大言壮語をぶち上げてどうするんだ。
以下にアサヒコムの記事を引用する。
橋下知事「日本一の先生」募る2008年04月05日13時12分
大阪府の橋下徹知事は5日、大阪市中央区の府立青少年会館で開かれた来春採用の教員志望者向け受験説明会に出席し、「教育日本一をともにめざそう」と参加者に呼びかけた。
午前10時からの部には約1200人が出席。笑顔で登場した橋下知事は「僕と府教委はいま、日本一の教育制度をつくろうと議論している。でも、日本一の教職員が集まらないとせっかくの制度も実践できない」と訴え、「教育から大阪を変えてやろうという熱い気概を持った人たちを歓迎します」と呼びかけた。説明会への出席は橋下知事が自ら望んだ。歴代の府知事で初めてという。
日本一の教職員を集めたいという方針、大いに結構だ。しかし、優秀な人材はそれだけの待遇を用意しないと集められないということがわかっているのか。歳出削減を進めていけば府職員の大幅な給与カットはもはや避けられないという状況の中で、教員の給与だけを聖域化するわけにもいかないだろう。実際に給与カットが行われれば、現場の教員もそして大阪府を受験しようとしている教員採用試験希望者もかなり意欲を失うはずである。立派な働きを期待するならば、それに見合った待遇を保証してこそ叶えられるのであり、待遇は悪いのに自己犠牲の精神で仕事はがんばってくれと言うのは矛盾していないか。
オレは25年前大阪府の教員採用試験に合格して、大阪南部のとあるのどかな田園風景の中の公立高校の教員として着任した。そこで少しでも生徒の大学進学の希望を叶えようと進路指導の仕事をがんばってきた。進学補習を積極的に行い、早い時期からの模擬試験の受験を勧め、進路説明会の時は大勢の生徒の前で熱く訴え、個別の生徒と面談して目標をしっかり持たせ、それまで「どうせオレらはアホやから」とぬるま湯に浸っていた生徒たちに喝を入れた。その結果それまで少なかった国公立の大学を目指す者も増えた。自分が担任をして、手塩に掛けた生徒たちが最終学年を迎えてさあどんな受験の結果を出してくれるだろうかと楽しみにした矢先、オレに下ったのは転勤の辞令だ。同一校に10年勤めた者は機械的に異動させられるという仕組みだった。ひどいじゃないか。しかもオレの異動先は生徒が大学にはあまり進学せず、就職や専修学校に行く者の方が多く、どちらかというと生活指導に明け暮れるような高校だった。オレはそのときに大阪府を見切った。オレという優秀な人材にちゃんと力を発揮できる場を用意せず、人事異動をただのフルーツバスケット程度に考えていて適材適所なんて概念が全く抜け落ちている府教委のその方針に対してオレは限りない絶望感を覚えたのだ。
幸いなことにオレは私学に移籍できて、なんとそこで京大や阪大に現役で合格する生徒たちを教えることができることになり、待遇も公務員であった時よりもよくなったのである。大阪府教委の行ったひどいフルーツバスケット人事の結果、かつての伝統校はどんどん没落した。オレの卒業した大阪府立生野高校はかつては京都大学に30人以上合格したこともあったが、今はせいぜい数人、年によっては現役ゼロという程度になってしまったのだ。私学が飛躍的に進学実績を伸ばしたのはそれぞれの企業努力も大きいと思われるが、ライバルの公立高校がこうして勝手にコケてくれた側面も否定できない。
もちろん中学受験の激化で、優秀な生徒が中学進学の段階でごっそりと私学に取られてしまうという側面はあるだろう。しかし、果たしてそれだけが理由だろうか。生野高校の最寄り駅のそばでは現役生向けの学習塾が大繁盛している。なんでこんなものがはやるのだ。大学受験のためには必ず塾や予備校に行かないといけないのか?そんなはずはないだろう。ちゃんと予習しないと理解できないようなハイレベルの授業をふだんから行い、生徒ががんばってそれについてくるならば塾や予備校など全く不要である。少なくともオレにはそんなものは必要なかったし、しっかりと予習して授業を受ける一方で自分で買った参考書や問題集で勉強した。英語の授業の進度がとてつもなく速く、毎日予習に2時間も3時間もかかった。そんなハードな授業にみんながんばってついてきていたのだ。高校3年になった夏、当時人気があった「試験に出る英単語」という参考書をオレも買い求めてみて驚いた。そこに出てくるような単語はみんな知ってる単語ばかりで、そんな本はもはや不要だった。授業を理解するために必死だった2年間は、自分の単語力を飛躍的に向上させ、しかもそれは膨大な量の英文解釈の問題を解いたために身に付いた「生きた解釈力」だった。当時オレが英語を教わっていたのは京都大学の仏文出身のN先生だった。N先生はオレにとって最高の英語教師である。このような師に出会えたことをオレは生涯忘れない。
橋下知事は高校の学区制を無くしたいと語っておられた。大阪府のどこからでも好きな高校を受験できるなら、学区の数だけ存在した偏差値ピラミッドは一つの大きなピラミッドに集約されるだろう。確かにその頂点に位置する高校には優秀な生徒が集まるだろう。しかし、4番手5番手の学校になるともうできる生徒の層が薄くなってしまい、大多数の高校の入学者は希望する上位校に入れなかった不本意入学者に占められることになる。それで果たして「日本一の教育制度」が可能なのか。入学試験の偏差値が低いとされる高校でどれだけ多くの中途退学者がいて、学級崩壊が起きているかご存じなのか。このような状況はオレが高校生だった30年前よりも確実にひどくなっているのである。それはすべて府教委の間違った方針が産み出した歪みのせいである。
優秀な教師を集めたいのならそれなりの待遇を保証することだ。大学卒業時に条件のいい民間企業に流れてしまう人材を横取りしたいのならそれよりもよい条件を提示しないとダメだ。「教員志望者はこの仕事が好きで志望するのだから、給与は関係ない」なんて考えると、ただ金八先生にあこがれてるだけの勘違い馬鹿しか集まらない。「できる」人間ほど自分の価値を高く評価してくれるところを就職先に選ぶ。フィンランドの教育水準が高い理由は、大学院卒しか教師になれないことと、その上民間企業よりもいい待遇なので日本なら医師や弁護士になるようなトップレベルの人材が教師になるからである。「熱い気概」だけではどうにもならないのである。大学受験という世界で成果を出すにはそれなりに高い能力が必要なのだ。オレは昔、「受験の国語」という学燈社の受験雑誌に付録で付いていた通信添削模擬試験に応募して、千人近い参加者の中で何度か1位を取ったことがある。教師としての能力の自己研鑽を兼ねてオレはそんな遊びをしていたのだが、そんな入試問題ヲタクのオレが活躍する場を大阪府は用意してくれなかった。それこそがオレが大阪府を見限った最大の理由である。
橋下さんよ、条件さえよければオレは府立高校に戻ってもいいんだぜ。このオレを正当に評価してくれて、それなりの待遇を保証してくれるなら喜んで行こうじゃないか。とりえあえず年俸は3000万ということでどうだ。えっ?知事よりも高いって、じゃあ橋下さんと同じでいいよ。それ以下は絶対に譲れないね。
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