2007年10月06日(土) |
無人島で暮らしてください |
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公共の福祉と個人の事情とどちらが優先するのだろうか。この問題に関して明確な答えを出してくれたのは東京地裁八王子支部である。公園で遊ぶ子どもたちの声がやかましいからと文句を言った女性の訴えを認め、噴水を停止させるという仮処分決定を行ったのである。さすが「リタリン飲んだら殺人も無罪」のあの八王子支部である。大阪地裁に代わって日本一の馬鹿裁判所として名乗りを上げてきたのである。今回もなかなかのトンデモ判決である。こういう判決を見るたびにオレは裁判官の頭の中というのはどういうハチャメチャな構造になってるのだろうかと心配してしまう。おまえたちは法律を学ぶ前に世間の常識を学ぶべきだろう。
以下はアサヒコムから引用した記事である。
公園の噴水遊びは「騒音」 訴え認める 東京地裁支部2007年10月05日12時27分
東京都西東京市緑町3丁目の「西東京いこいの森公園」にある噴水で遊ぶ子どもの声やスケートボードの音がうるさいとして、近くに住む女性が市に対して噴水の使用とスケートボードで遊ばせることをやめるよう求める仮処分を申請し、東京地裁八王子支部がこれを認める決定を出していたことが分かった。決定は1日付で、市は2日から両施設の使用を中止している。
市によると、噴水は地面に埋め込まれた噴水口から水が断続的に噴き出し、水の間を縫って遊べる構造になっている。女性の家は公園に隣接し、噴水からは数十メートルの距離にある。都条例で同地域の騒音規制基準は日中で50デシベルと定められているが、市が女性宅付近で測定したところ、噴水で遊ぶ子どもの声が60デシベル、スケートボードの音が58デシベルと、ともに基準値を上回っていたという。
女性は心臓などを患い療養中で、噴水で遊ぶ子どもの声などが精神的苦痛をもたらすと主張。これに対し、市は、子どもの声は基準値を超えても受忍限度を超える騒音にはあたらないと主張していた。
決定書では、基準値を約10デシベル上回る現状は女性に苦痛をもたらしていると認め、市は工夫次第で子どもたちが歓声を発することのない形の噴水を設けることは可能だったとした。
市は「決定に従って使用を中止したが、今後については弁護士と協議して、対応を検討していく」としている。
訴えた女性の家は公園に隣接しているということだが、いったいいつからそこに住んでいるのだろうか。生まれたときからそこにいたのか。それともそこに家を買って移り住んできたのか。少なくとも公園の方が先に存在した筈だとオレは考えて調べてみたところ「西東京いこいの森公園」が設置されたのは平成13年とある。ということはこの女性が公園設置よりも先にそこに居住していたかも知れないのである。だったらこの問題はどう考えたらいいのだろうか。公園の騒音に耐えられない人がいるかどうかを公園設置前に調査すべきだったのだろうか。
子どもたちの遊ぶ歓声やスケートボードの音がやかましいとこの女性は訴えてるのだが、そういう騒音はジェット機の騒音などとは本質的に違うものである。最近はそういうことをよく理解せず、運動会真っ最中の学校に対して「やかましいからいますぐ中止しろ」などと吠える大人もいるという。迷惑なのはそっちだろう。
やかましいのを承知の上で引っ越してきたのに、そのやかましさに文句を言うヤツが居る。線路の脇にあるマンションは騒音が激しいはずなのに入居してから電鉄会社に文句をつけるのは「あほ!」としか思えない。空港のそば、飛行機の侵入経路下に家を建ててから騒音対策の慰謝料をたんまりもらおうとする連中も同罪である。
公共の福祉という観点に立つならば、八王子市は公園を今まで通り使用し、その女性の希望を叶えるために静かで交通不便な山奥の家と交換してあげればいいのだ。きっと希望者が山のように現れるだろう。
都会で生活する以上さまざまな生活騒音はある。そのたいていは許容限度内だとオレは思う。運動会の時や文化祭の時など学校がかなりにぎやかになる時もあるが、それは一年間の中のほんの数日であり、たいていは静かに授業が教室で行われているのである。それらの生活騒音の多くは、故意に隣家に嫌がらせをするために出されたものではない。生活していれば自然に出るのだ。運動会の騒音も同様である。その騒音に対して「やかましいから今すぐ運動会を中止しろ!」と電話で文句を言ってくる自己中心的な親もいるらしい。全くもって不思議なのである。どうしてそこまで自分を中心に物事を考えることができるのか。「おまえはいったい何様だ!」とオレは思うのである。その拡大した自己中華思想がどれほど尊大で傲慢なことかもわからずにそれを「正当な要求」と考える輩がどれだけ多いことか。
そしてもう一つオレが怖ろしいと思うのは「噴水で遊ぶ子どもの声などが精神的苦痛をもたらす」というこの方の感覚なのだ。仮にその理由が「幼いわが子を病気で亡くしたことがあるので思い出してしまうから耐え難い」であったとしても、だから公園の噴水を止めさせるというのはむちゃだ。子供の騒ぐ声を「騒音」としか感じられない人は、子供のいない老人だけの国で暮らしてくれ。オレは子供が家の前の道路で大勢遊んでいる時に確かに「やかましいなあ」とは思うが、それはセミの声がやかましいのと同じく自然の摂理だと思っている。もしかしてこの女性は「セミがやかましいから木を切れ」などと訴えるのだろうか。こんな傲慢な人間の態度がどれほど自然を壊してきたことだろうか。
この女性の希望する静かな生活を実現するには、やはり無人島での一人暮らししかないとオレは思うのである。そこには学校もなければ公園もない。誰にもじゃまされることもないのだ。そんな無人島で静かに療養生活を送ればいいのである。まるで言いがかりとした思えないこのクソ裁判のためにどれほど多くの経費と新たな仕事が発生したのか。考えてみたことがあるのか、とオレは言いたくなるのである。
真に静かな生活を実現するためには無人島へ行くことだ。そこでは携帯も通じないし不便かも・・・と思うのならばあなたはすでに無人島に行く資格はない。でもその無人島さえも「波の音がやかましい」「海鳥の鳴き声がやかましい」と文句を言い出すならばもはや行き先は一つしかない。宇宙空間である。そこなら一切の音は聞こえないはずだ。なにしろ空気がないから伝わらないのである。まさに静かな生活には最適である。
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