2007年08月31日(金) |
姫井ゆみこ議員よ、胸を張れ! |
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話題になっている週刊文春の記事を読んだ。そこには今回の参院選で当選した姫井ゆみ子議員と6年間不倫関係にあった男性の告白があった。その記事を読んで、オレは少なからずこの男性に同情した。教師という仕事を辞めて喫茶店の経営者となり、最後は身辺整理ということで捨てられたということである。もしもオレが同様の立場であったらどうだろうかと。もしもオレが若くて美人の国会議員に「公設秘書にしてあげるわよ」と誘われて不倫関係を持ちかけられたらキッパリと拒否できるだろうかと。もしも上戸彩とか石原さとみとか宮崎あおいが国会議員で「年収1000万の公設秘書にしてあげるから私の東京夫になって」と持ちかけられたらオレはきっと「いいよ!」と二つ返事すると思う。男は美女の誘いには弱いのである。オレのような硬派を自認する男でもそうである。
さて、ここでオレは国会議員にとって不倫というのはどの程度のスキャンダルなのかと考えてみた。性にまつわるスキャンダルというとやはり誰もが想像するのがあの変態、山崎拓である。彼は単なる不倫だけではなく変態であるという性癖が元愛人から暴露された後の選挙で落選したが、ライバルの候補のペパーダイン大学卒という学歴詐称がばれたので繰り上げ当選したわけである。つまり今の社会のルールでは学歴詐称はアウトだが、変態はOKということだ。山崎拓の妻も選挙の時は変態の夫をたてて甲斐甲斐しく働いていた。政治家の妻にはそれくらいの根性がいるのだ。山本モナと不倫関係にあった細野議員も別にそれで議員を辞めさせられたわけでもない。小泉チルドレンの一人佐藤ゆかり議員も議員になる前の不倫メールが暴露されたが、それが理由で辞めるという話にはならなかった。考えたら日本の法律には「姦通罪」という罪は存在しないわけで、不倫というのは確かに公序良俗には反するが、それ自体は犯罪ではないのである。犯罪といえば横峰パパの賭けゴルフの方がよほど犯罪性が高い。最も賭けゴルフ自体は政治家にとっては一つのお付き合いみたいなものであり、ハワイで実習船がアメリカの潜水艦にぶち当てられて高校生が殺されたあの事件の時に、当時の首相だった森喜朗が賭けゴルフの真っ最中だったというのは有名な話である。(森喜朗はその時握ったのはチョコレートであり賭けはしていないと語ってはいるが)
そうやって考えると、確かに家庭を放り出して不倫交際に耽っていた姫井議員の行動は母親として、そして妻としては非難を受けるような行動である。これに関しては弁護の余地は全くない。オレにはこの行動を正当化する気は毛頭無い。それはいくらオレがヘリクツの達人でも無理だ。しかし、このような行動は国会議員としては別に珍しくも何ともなく、みんなやってる普通の行動なのである。男の議員が愛人を作ったり、官官接待で風俗店に行ったとしても取り立てて問題にされることはないだろう。そういうヤツは大勢居るからである。女性だからと不倫がことさらに問題にされるすればそれは男女差別だ。あの宇野宗佑元首相も月30万円のお手当てで愛人を持っていたのである。議員とは、政治家とはそういうものなのだ。石原慎太郎都知事にも愛人がいて子どもまでいるのである。田中角栄にも愛人の子がいて、田中真紀子とは犬猿の仲らしい。顔やしぐさなんか角栄とそっくりなのだ。姫井議員も週刊誌の取材に対して堂々として「はい!不倫していましたが何か?」と開き直ればいいのだ。「男ならよくって女ならダメなんてことは許しません!」と開き直れば逆に女性の支持を集められるかも知れないのである。
参議院議員の任期は6年である。今回のスキャンダルが6年後の選挙まで有権者に覚えられてるかどうかはわからない。人の噂も75日である。6年も経てばみんな忘れてるだろう。今回落選した片山虎之助氏も6年後にまだ元気かどうかはわからない。6年後にこの問題がどれだけ選挙に影響を与えるかわからないし、全く影響はないかも知れない。
考えたらアメリカ大統領だったクリントンだって、大統領執務室でHな行為に耽るという大胆不敵なオッサンだったのである。アメリカ大統領だって不倫をしていて、そのことで別に大統領をやめて責任をとったわけではない。アメリカ人もこう思っていたはずだ。「クリントンは下半身はだらしないが、経済政策はしっかりしている」もしもその逆で「貞操観念は堅固だが、政策は全くダメ」という政治家がいたとして国民の支持を得られるだろうか。たとえ変態であっても素晴らしい政策を導入して国民生活を救えばヒーローになれる、それが政治の世界なのだ。
政治と宗教を切り離すことは「政教分離」だが、ここでオレは政治と下半身のスキャンダルを分離する「政性分離」をこそ提案したい。政治家というのはみんなそんな連中なんだと言いたいのである。
最後に姫井ゆみ子議員との不倫関係をばらしたその男性に対してのオレの感想を述べる。オレはこういった関係というのは常に男の側が紳士であるべきだと思っている。つまり女にバラされるのは仕方がないが、男は絶対にバラしてはならないということだ。もしもオレが江戸時代に生まれた下級武士だったとする。お殿様の奥方から「夫が愛人のところに入り浸っていて私の相手を全然してくれないのじゃ。一夜でいいから妾の相手をしてくださらないか」と頼まれたとする。(映画「蝉しぐれ」ではそれに近い場面がある)もしもそういうことになったとして、男が「オレ、殿の奥方とHしちゃった!」と吹聴するならそんなクソ男は生きている値打ちがない。オレがその立場なら奥方の名誉のためにその秘密はあの世まで持っていくだろう。
男女の関係に於いてスキャンダルでより傷つくのは女性の側である。だからこそ男は紳士でなければならないとオレは思うのである。少なくとも6年間、姫井ゆみ子議員はこの男性にとって最愛の女性だったはずである。たとえその後で裏切られて捨てられたとしても、男というのはそれを恨んだりせずに黙って受け入れるべきものではないのか。それこそが男なのだとオレは思いたい。スキャンダルを女にバラされるのはたいてい男の誠意が足りないからである。手切れ金が少なかったり、自分に尽くしてくれた女をあっさり捨てたりするような男が女に逆襲されるのは身から出たサビである。それはただの自業自得だとオレは思う。
しかし、男がスキャンダルをばらすのは実に醜い。その動機はたいてい女に対する恨みであり、いやがらせである。オレはそのような男を軽蔑する。秘密をあの世までしっかりと持って行けるのが真の男だと思うからだ。もう20年以上も前のことだが、オレが教えていた公立高校の卒業生の男が久しぶりにオレを訪ねてたとき「同級生のAさんもBさんも、ぼくとHしたことあるんですよ」と自慢したのでオレは叱りつけた。「あほか!そんなことは誰にも言うな。口の軽い男は最低だ。女の秘密は命がけで守れ!」と。オレのこの感覚は時代錯誤だろうか。少なくとも今回の週刊文春の記事の感想はそれに尽きるのである。
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