2007年07月13日(金) |
ハメこまれた人たち13(木村化工) |
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木村化工(6378)と言えば往年の仕手株である。過去に何度も大きな相場を作ってきた銘柄だ。2006年には篠原猛氏という大物相場師が大量保有してるところを外資に売り崩されて暴落、篠原氏が破産同然に追い込まれるという出来事があった。その後も時々思い出したように吹き上げては落下を繰り返していたのだが、2007年春、この株に大きな材料が出現したのである。それは原発関連銘柄の人気だった。
原発関連銘柄である日本製鋼所(5631)、三菱重工業(7011)、IHI(7013)、東芝(6502)、日立製作所(6501)、三菱化工機(6331)、トウアバルブ(6466)、キッツ(6498)などどれも軒並み値上がりした。その中でも特に激しい値動きを示したのが木村化工だったのだ。
3月15日、三菱重工が原発関連の大きな受注を受けて上昇した日、原発関連株の中でもっとも仕手性の高いこの木村化工は突如425(+80)のストップ高となり、東証は即日新規空売り禁止の規制を入れたのである。それまで200〜300円台をウロウロしていたこの株が突如吹き上げたものの、すぐに規制が入ったことで相場はすぐに沈静すると思われたのである。たいていの場合、新規空売り禁止になれば相場は落ち着き、出来高も徐々に減っていく。木村化工も翌日は404(−21)と大きく下げた。ただその日の動きは430→395→440→404とめまぐるしい動きだった。空売りをしている人が踏み上げられるのを警戒して返済する動きと、下げ止まったのを反発狙いで買う動き、前日のストップ高で買ってしまったのが下げだしたので狼狽して投げ売りする動き、それらが交錯して乱高下したのである。その日、警戒されたのか空売りの多くは返済されてしまい信用取り組みも悪化した。普通ならそれで相場終了、後はジリ下げという展開であるし、オレも当然そうなるだろうと予測してこの株を買うことなど全く考えなかった。しかし、その後の展開は誰にも予想しえない動きだったのである。
ただ、本当に「誰にも予想し得ない」かというとそうではない。理不尽な動きをする株の背後には必ずその相場を操っている仕掛け人がいる。この木村化工の背後にもその相場を操る誰かが存在したとしか思えない。それが外資なのか、あるいは超大物の個人投資家なのかはわからない。ただここから後の神懸かり的な上昇に何も作為がないとは思えないのだ。何らかの相場操縦が関与したとしか思えないのである。先日急落して多くの証券会社に焦げ付きが発生したOHT株の取引に関して借名口座による相場操縦があったことが徐々に明らかになりつつある。この木村化工株を上昇させるには果たしてどんな作為が存在したのだろうか。売り禁になって相場が終わるどころか、3月21日には505円、3月30日には瞬間的に735円とわずか2週間の間に株価は80%以上も上昇したのである。
ところが4月に入って原発関連株のブームはいったん失速した。三菱重工業が急落してそれに歩調を合わせるかのように木村化工も下げたのである。4月18日には544円、5月18日は453円まで下げた。空売り禁止の規制も解除され、もはや以前ほどの人気を集めることもなく、完全に終わったような動きをしていた。425円でストップ高した時に空売りしてその後含み損になったのを耐えていた人たちが救出されるのも時間の問題と思われた5月下旬、読売新聞の報道をきっかけに原発関連株は再噴火した。
5月27日付読売新聞に「中国は2030年までに原発による国内発電容量を15〜20倍に増強する目標を立てている」という記事が出ていたことが材料だった。中国で大量の原発が建設されるということは日本の原発関連企業に特需が発生するわけである。それを受けて木村化工は5月28日に554(+80)と上昇し、翌5月29日も654(+100)と二日連続ストップ高したのである。大量の空売りが入ったため再度の規制が入って新規の空売り禁止となった。前回の空売り禁止からわずか2ヶ月あまりという短期間に二度目の規制が入ったのである。それから一ヶ月、木村化工株は時折激しく上下しながらも600円台後半から700円台前半の株価を推移していた。空売りした人たちは下がってこないことに焦らされ、あきらめて返済する者も多かった。このときにその後の狂ったような上昇を誰が想像できただろうか。「どうせ無配企業だし、待っていればいつかは下がってくるよ」と楽観的に見ていた人たちが多かったのである。空売りこそしていなかったが、オレもその一人だった。だから買おうとは思わなかったのだ。
その時に楽観していて空売りを返済しなかった投資家の中には、今頃全財産を無くしてしまった哀れな方もきっといるはずだ。まさか400円台で空売りした株が1950円まで上昇するなんて誰が思うだろうか。よしんばそこまで耐えられたとしても、どれほどの資金が拘束され、そして値下がりしてくるまでにどれほど待てばよいのだろうか。
6月26日、この日から木村化工株の奇跡の12連騰がスタートした。その間ずっとこの株を持ち続けて最後の高値で売り抜けることができた人はもはや神の領域である。株価は終値ベースで、728、744、764、765、865、965、1010、1075、1122、1279、1479、1679と上昇した。12連騰の中で株価は倍以上になったのである。
そして7月12日、いきなり1919(前日比+240)で寄りついた後1950円まで上昇したのにストップ高の1979までたどり着くことなく崩れだして1800台でもみ合った後1845円で前場を終えた。前場終了の11時ちょうどから後場の開始の12:30までの1時間半に何があったのか。それまで強気一辺倒だった木村化工株のホルダーたちには「もしかしたらそろそろ下げるかも」と動揺する者が続出したのである。後場の寄り付きはなんと1385(−294)であった。前場終了の価格から比較して実に460円も下げたのである。実に24%の急落である。結局大量の売り物に押されてストップ安の1379円に張り付いて後場の取引が終わった。一日の値幅がなんと571円、高値から安値への下落率は29%という急落だったのだ。今日の高値の1950円で木村化工株を買ってしまった人もいるわけで、信用取引でこの木村化工を買っていた人の中には一日で全財産を失って破産した人もいたかも知れない。
仕手株全体の相場を牽引してきた木村化工株が暴落したことで、他の仕手株も次々に暴落した。その日の高値から安値への下落率の大きなものとしてエネサーブ(913→720 21%)、日本ギア工業(1310→949 27%)、ミサワホーム北日本(334→206 38%)などが目立っている。値動きの軽い仕手株に群がっていた個人投資家の多くが逃げ遅れたり、あるいは暴落の中で投げ売りを余儀なくされたのである。
木村化工のように連日の暴騰を続けていた株が突如暴落するということは仕手株の世界ではよくあることである。上昇時に途中で飛び乗ることには、その相場がいつ終わるかわからず、自分が買った瞬間が実は天井だったという怖さがある。それだけにザラ場に張り付いて取引できる専業のトレーダーでない素人衆は手出し無用だ。木村化工が7月12日の後場に急落したのはおそらく昼休みに暴落に気づいた個人投資家が一斉に売り注文を入れたからだと思われる。彼らは前場のまだ1800円台で取引されていた時に売り抜けて逃げ切ることができなかったのである。
一攫千金を夢見て仕手株を買う個人投資家は多い。しかし逃げ遅れればこのような悲劇に遭遇することとなる。木村化工を高値で掴んでしまって全財産を失い、退場に追い込まれた投資家はいったいどれだけいただろうか。
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