2007年05月29日(火) |
ダービーの思い出 |
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5月27日に東京競馬場で行われた日本ダービーに勝ったのはウォッカ(牝3)だった。牝馬が優勝したのは64年ぶりであり、ダービーに牝馬が出走すること自体が11年ぶりだったのである。2着に3馬身差をつけての快勝であり、最後の直線に入った時点では8番手だったのにそこから7頭を一気に抜いてゴールするという強さだった。オレはテレビでその場面を見ながらはるか昔のことを思い出していた。ちょうど34年前の1973年5月27日に行われたダービーのことである。オレはそれを親しい友人の家のテレビで見ていた。一番人気は怪物、ハイセイコーだった。
ハイセイコーは大井競馬場でデビューしてから6連勝、常に2着以下に大差を付けての圧勝を続けた。その桁外れの強さを見込まれて中央競馬に移籍してからも弥生賞、スプリングステークス、皐月賞、NHK杯と4連勝し、10戦10勝という輝かしい戦歴でダービーに臨んだのである。マスコミは人気を煽り、少年マガジンの表紙をハイセイコーが飾るという珍事まで起きた。多くの地方出身の若者たちにとって地方競馬出身のハイセイコーが中央の一流の馬を相手に圧勝する姿は深い共感を呼んだのである。ダービーの単勝馬券中、ハイセイコーは実に66.6%を占めたという。
オレは友人と一緒にハイセイコーの勝利を信じてテレビの画面を食い入るように見つめていた。レースは白い逃亡者、ホワイトフォンテンの逃げで始まった。かなりのハイペースだった。しかし4コーナー手前でハイセイコーが前に出た。「よっしゃ!勝った」とオレは身を乗り出した。しかし、そこからの直線でオレは信じられない光景を見たのである。追い込んできたタケホープとイチフジイサミの2頭が並ぶ間もなく一瞬のうちにハイセイコーを交わして先頭に立ったのである。この2頭はそのままゴールに飛び込み、ハイセイコーはなんと3着に敗れた。無敗のダービー馬が誕生することを期待した人々は大きな失望を味わった。多くの若者たちが夢を乗せて買ったハイセイコーの単勝馬券はたちまちただの紙切れとなった。
その年の秋、同じ友人の家で今度は菊花賞を観た。ダービーでは敗れたが今度こそハイセイコーが勝つことを信じて観ていたのである。レースは今度はゆったりとした遅い展開だった。しびれを切らしたように4コーナーの手前でハイセイコーは先頭に立った。そのときタケホープはまだ5馬身くらい後ろにいた。ところがゴール前の直線、タケホープはすばらしい勢いで大外を駆け抜け、なんとハナ差先着してまたしてもハイセイコーの勝ちを阻んだのである。すぐ横に並ばれたら闘争心の強いハイセイコーが負けるわけがない。タケホープの武邦彦騎手は巧妙にもわざと馬を並ばせずに大外を走ったのかも知れない。それを友人と二人で「あれは卑怯だ卑怯だ!」と息巻いたのである。クラシックレースでの対決はタケホープの2冠、ハイセイコーの1冠に終わったのである。
なぜあのときハイセイコーはあんなに人気があったのだろう。その後ハイセイコーは有馬記念に負けたし春の天皇賞でも負けた。もう終わりだとも言われた。それでもファンはその復活を信じて応援し続けた。自分たちの果たせぬ夢を乗せ、ハイセイコーに熱い声援を送り続けたのである。二度目の有馬記念に挑戦して敗れた後、ハイセイコーは引退した。詩人の寺山修司は「さらばハイセイコー」という詩を書いた。その詩にはこのような一節がある。
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースが終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる
「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」
オレの座右の銘の一つである。
ハイセイコーは2000年5月4日、北海道・新冠町の明和牧場で心臓麻痺により死去した。墓は明和牧場にあり、その墓碑には「偉大なる名馬、ここに眠る」と記されているという。奇しくもその5月4日は、寺山修司の命日と同じである。オレはそこに不思議な因縁を感じてしまうのである。
あの頃、集団就職で東京に出てきた若者たちは自分たちの夢を乗せてなけなしの小遣いでハイセイコーの馬券を買った。ハイセイコーの勝ちを心から喜び、負けたときは深く落胆した。ハイセイコーの活躍は彼らの心に大きな希望を与えた。
それから34年、競馬は国民的娯楽になって内閣総理大臣まで馬券を買うようになった。安倍首相夫妻は今回のダービーでウォッカの単勝馬券を買っていて的中させたという。ぎりぎりの暮らしをしている若者が自分の夢を乗せて買った馬券と、総理大臣が道楽で投票する馬券では重みが全然違う。そしてギャンブルの女神とは時に、その勝利を渇望している人ではなくて勝たなくてもいい人に微笑むものでもある。別に安倍晋三が競馬で負けたって誰も困らない。勝ったからと言って何かが変わるわけでもない。
国家の大事をよそに総理大臣が競馬にかまけていた翌日、議員会館で一人の大臣が首を吊って死んだ。数多くのゼニに関する疑惑にまみれた彼は、そうやって死ぬことで何を守りたかったのだろうか。議員としての誇りだろうか、あるいは人間としての名誉だろうか。くだらない自民党の体面だろうか。死んでしまった今となっては誰にもわからない。その報せを聞いた文部科学相の伊吹文明は「死人に口なし」と思わず本音を漏らしたという。その背後にはいったいどんな大きな闇が潜んでいるのだろうか。
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