2007年04月29日(日) |
オレの日本橋を返してくれ! |
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今から10年以上前、WINDOWS/95が発売された頃の大阪・日本橋には多くのパソコンショップが並んでいた。大阪市内の学校に勤務するようになったオレは毎日のように帰りに寄り道しては日本橋のパソコンショップを巡りをしたものである。綿密な価格調査を行い、どの路地にどんな怪しいパソコンショップがあるかを確かめ、自分が自由にできる多くのゼニを惜しげもなく投じてパソコンやその周辺機器、そしてゲーム類を買いあさったものである。ボーナスが出た直後は気が大きくなって、現金を握りしめては50万円近い買い物を平気でしていた。昔は今とは比較にならないほどパソコンは高価なものだったからである。
そんなマニアックなパソコン好きが集う街であった日本橋は今はすっかり様変わりしてしまった。もちろんパソコンを扱う店がなくなったわけではない。かつては堺筋の南端、上新のテクノランドがあった一角の周辺にソフマップの1号店〜5号店があり、スタンバイ、PCS、MSL、ニノミヤ、中川無線、OAシステムプラザなどが軒を並べていた。(同時にどの店が存在したかまでは完全に覚えていないのだが)オウム真理教の活動資金集めになってるというウワサの店もあり、そこではマハーポーシャというパソコンが売られていた。盗難や偽造クレジットカードで購入された商品を転売するルートだったのかも知れないが、いかにも胡散臭そうな中古ショップもあった。最新のものも2,3日待てば入荷するという触れ込みだったが、今思えばやっぱり犯罪絡みだったのかも知れない。シャッターを閉じた店の前には海賊版のCDヤソフトウェアを販売する露店があった。(これは今でも時々見掛ける)そんな猥雑さをオレはこよなく愛していたし、それこそが俺の愛する日本橋だった。
オレはいつも実際の商品を上新テクノランドなどの大型店で確かめた後、ソフマップの中古品コーナーに行ったり怪しいバッタ屋に出かけたりしてかなり格安価格で購入した。テクノランドで32万で売られているものがバッタ屋では25万くらいで買えるくらいの価格差が常に存在した。丹念に歩き回って、その価格差を頭に入れることがオレの趣味だったのである。もしもオレがその当時にもしもまだ20代前半だったら、迷わずそこに居を構えて毎日をそのディープな空間で過ごしただろう。
いつしかオレはパソコンにそんなにゼニを使えなくなり、そして日本橋からも足が遠のいた。それでもたまに行くことがあったが必要な商品を買うためだけに足を運ぶという形だった。それがオレだけに起きた状況だったと言うよりは、オレと同じような行動をとっていた他のパソコン好きたちも同じような行動をとっていたのかも知れない。日本橋にわざわざやってくる人は徐々に減っていった。ヨドバシカメラが梅田にできて、郊外にどんどんヤマダ電機やコジマ、ケーズデンキなどが進出してきて、人々は日本橋までわざわざ出かける必要がなくなった。日本橋を大阪の拠点としていたソフマップは梅田や天王寺と言ったターミナルにギガストアを展開して状況打開を図ったが、逆に本丸の日本橋の地盤沈下を招いただけだった。客が減れば衰えるのは当然の成り行きである。
パソコンショップが去った後の日本橋にやってきたのは、模型屋であったりフィギュア専門店であったり、アダルトもののAVやDVDを売るコアな店であったり、メイド喫茶だったのである。そのような変化をオレは寂しく眺めたのだが、考えてみればオレが好きになった日本橋はすでにその時には変化の第一部を迎えていたのではなかったか。かつて家電の販売店が軒を並べて、いかにも大阪的な店員との駆け引きで価格が決まるそんな商取引が日常的に展開されていたのが、30年前の日本橋ではなかったか。その家電の街だった日本橋に新顔として乗り込んできたのがパソコンショップじゃなかったか。そう、オレが通い始めた頃の日本橋にはまだ家電店もかなり残っていて、パソコンショップとの比率は半々くらいだったような気がする。家電店はパソコンショップに駆逐され、そして今そのパソコンショップもどんどん減少して新たな主役に取って代わられているだけのことである。
自分が好きだったものがいつまでもそこに存在して欲しいと願うのは単なる郷愁である。時は流れ、万物は流転していく。オレの仕事部屋にはかつて遊んだゲーム類や古いパソコン(まだちゃんと動く)、そして今や雑多なガラクタとなった無数のパーツ類が積み上げられている。こんなものを買い集めるためにオレはどれだけゼニを使ったのだろうかと時に嘆かわしくなってしまうのである。
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