江草 乗の言いたい放題
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2007年04月28日(土) 失われた人生の時間について        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 すべての人にはよりよく生きる権利がある。少なくともこの世に生を受けた自分はそれをちゃんと保証されている。しかし、過去の歴史の中で、その基本的人権を保証されず、国家の犯罪によって不当にその権利を奪われてきた人たちが居る。今、そうした人たちが不当に奪われた人生の多くの時間に対して訴えを起こすことは正当なことであるとオレは思っている。国家無問責(「旧憲法下の国家の行為で個人が損害を被っても、国は不法行為責任を負わない」)の原則があって、国家の起こした不当行為を訴えることはできないという。戦争というのはその最たるものだ。

 そして戦争中のさまざまな損害に対してはサンフランシスコ講和条約ですでに解決済みであるから、個人は国家に補償を求めることはできないというのが裁判所の見解である。だから広島・長崎の被爆者はアメリカ合衆国を訴えることも出来ないのだという。しかしこのような裁判の報道を知ると、オレは果たしてその「国家無問責」や「解決済み」という言い訳のどこにも正義などないと思うのである。以下アサヒコムの記事から引用する。

強制連行訴訟、中国人元労働者らの請求棄却 最高裁 2007年04月27日13時15分
第2次大戦中に強制連行され、広島県内の水力発電所の建設現場で過酷な労働をさせられた中国人の元労働者ら5人が西松建設を相手に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決が27日、あった。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)は「72年の日中共同声明は個人の損害賠償等の請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解され、裁判上は請求できなくなった」と初めての判断を示し、原告側の請求を棄却した。
 西松建設に計2750万円の支払いを命じ、原告側を逆転勝訴させた二審・広島高裁判決を覆した。原告敗訴が確定した。
 最高裁で強制連行をめぐる訴訟が実質審理され、判決が出るのは初めて。第二小法廷は、戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みで、個人が裁判で賠償を求める権利はない、と司法救済上の「土台」を否定した。
 一方、判決は「被害者らの被った精神的、肉体的苦痛が極めて大きく、西松建設が強制労働に従事させて利益を受けていることにかんがみ、同社ら関係者が救済に向けた努力をすることが期待される」と異例の付言をした。
 日中共同声明の「戦争賠償の放棄」に関する条項は、サンフランシスコ平和条約などと違って個人の賠償請求権までも放棄したかどうかが明記されていないため、その解釈が分かれてきた。
 第二小法廷はまず、原告らが強制連行され、同社が過酷な労働をさせて安全配慮義務を怠る不法行為があったとする二審の認定を支持した。
 そのうえで、請求権が放棄されたかどうかを検討。戦後処理の端緒となった51年のサンフランシスコ平和条約の枠組みについて、「個人分を含め、すべての請求権を相互に放棄した。ここでいう放棄とは、請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、裁判上請求する権能を失わせるにとどまる」との解釈を示した。
 これを踏まえて、日中共同声明について「戦争賠償や請求権の処理で、サ条約の枠組みと異なる取り決めが行われたと解することはできず、あえて個人の請求権処理を未定のままにせざるを得なかった事情はうかがわれない」と指摘。「同声明5項はすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解される」と結論づけた。中川裁判長のほか、今井功裁判官、古田佑紀裁判官の計3人の一致の結論。
 原告らは98年1月、広島地裁に提訴。一、二審とも原告らが44年ごろに日本に連行され、同県加計町(現・安芸太田町)の「安野発電所」を建設するため、昼夜2交代で導水トンネル工事などに従事させられたと認定した。


 中国から強制連行され、日本で苛酷な労働に従事させられたことは事実であると認定しながら、個人の請求権は放棄されているからと国家の賠償義務を否定し、雇用主であった西松建設に「救済に向けた努力を」と強制力のない文言を付け加えただけの空虚な判決だったのである。オレはこの判決に対してなんともやりきれない気持ちになった。

 裁判所の役目というのは国家権力から完全独立し、不当にその権利を侵害された弱者を救済し正義を実現することではないのか。戦時中の不法行為によってその人生を奪われた人々に対して、国家の責任は認めないとしても企業の責任はきちっと認定して賠償命令を下すべきだったのではないか。オレは今回の判決に対してその点が納得できないのである。少なくとも西松建設が安全配慮義務を怠っていたことは事実である。そして強制連行された労働者を雇用することによって直接の利益も得ていたのである。ならばその一点に絞ってでも賠償請求を認定すべきではなかったのか。

 「戦争に於ける殺人に対して罪を問われることはない」というルールはどこまで拡大できるのだろうか。広島や長崎の原爆、東京大空襲で亡くなった人たちの遺族には、空襲を行ったアメリカ合衆国の責任を訴えることはできないのか。日本がポツダム宣言を受諾することが決まっていた8月14日、大阪には最後の大空襲があった。大勢の無辜の民を虐殺した行為をオレは許せない。オレの父親はそのとき大阪市内に居て、京橋の方が燃えているのを見たという。「最後に残った爆弾みんな落として行きやがった・・・」それらはすべて「戦争」の中の行為として免罪されてしまうのか。

「戦後補償問題は日中共同声明によって決着済みで、個人が裁判で賠償を求める権利はない」という。しかし、日本政府は戦後長きにわたってODAという形で中国にゼニを払い続けた。それは一種の戦後補償であったとオレは思っている。そのゼニの中から個人に対する補償をする義務が中国政府にあったというのが日本政府の見解なのだろうか。(同様のことは韓国にも言える)

 しかし中国に於いても韓国に於いても個人への補償というものは実際には行われず、被害の救済を求める人々は日本で裁判を起こすこととなった。被害を受けた人々が居て、両国政府がおたがいに「賠償責任はない」と門前払いしてるのである。そこに正義があるのかとオレは言いたいのだ。救済など全くする気のない中国政府によって放置され、人生の時間を奪われてきた人たちに対して裁判所が示せる人道的配慮や正義とはいったい何なのかとオレは問いかけたいのである。裁判所は国家の手先になって民を支配するための機関なんだろうか。何のために三権分立の原則があるのだろうか。彼らは自分が裁判官であるということをどんなふうに受け止めてるのだろうか。


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