2006年11月29日(水) |
朝青龍、勝てばそれでいいんだ! |
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過去に朝青龍を話題にした日記
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オレはケツを丸出しにした男には基本的に関心がないので相撲には興味がないが、朝青龍は応援している。そのほれぼれするような強さを見ていると感動すら覚えるからだ。朝青龍にあるもの、それはスピードだ。これほど技の切れ味のある横綱がかつていただろうか。ついでにいうならあのふてぶてしい憎々しげな表情もいい。かつて一人でもこんな横綱がいただろうか。
なぜ相撲が人気を失ったのか。それは曙のようなただ図体がデカいだけの横綱が君臨して、退屈な相撲を繰り返したからに他ならない。多くのファンが離れてしまって相撲そのものが輝きを失ってから現れた最強の救世主が朝青龍だったのだ。しかし、もう遅かった。相撲ファンそのものが激減し、朝青龍の強さを素直に認めることが出来ない馬鹿ばかりになってしまったのである。
取り組み開始前のあの朝青龍の憎々しげな表情を見ると、オレは快感を覚える。かつて相撲の世界でこんなダーティーヒーローがいただろうか。横綱というのは常にどっしりと構えていて、卑怯な戦いなどはしないで正々堂々としていて、変化せずに相手の突進をしっかりと受け止めて戦うおのだといったい誰が決めたのか。確かに曙はいつもそういう戦い方をした。しかし、その理由は動きがのろくて相手についていけなかっただけのことである。
対戦相手を土俵の下に転がした後の朝青龍の「どうだ、これがオレの実力だぜ!」という表情を見るとオレは無性に嬉しくなる。相撲取りは勝っても負けても無表情であれと教えられてきた。話していいのはただ一言「ごっつあんです」だけ。何かをいただいても「ごっつあんです」と礼を言い、先輩から竹刀で殴られても「ごっつあんです」と答え、美女を世話してもらっても「ごっつあんです」と答える、これが相撲取りの美学だったのである。言葉の不自由な外国人力士も「ごっつあんです」だけで渡っていけるそんなすてきな世界が相撲界だったのだ。
そこに登場した朝青龍という存在はもはや革命的なのである。喜怒哀楽を露わにし、気に入らないことがあればクルマのミラーを引きちぎり、飲みに行けば店をめちゃめちゃにして暴れるという破天荒な行動、それが朝青龍の魅力なのだ。「ああ播磨灘」という相撲マンガを知っているだろうか。その作品はいわば朝青龍の先行者であったと言えるだろう。
なぜ強いと言うだけでこんなに彼はいじめられるのか。休場ばかりしていて時には負け越したりするヘタレ横綱ばかりを長い間見せられてきたオレは、朝青龍の登場でやっと「真の横綱」に出会えたような気がするのである。リアルタイムで彼の強さを見ることができるのをオレは嬉しく思う。
ところが横綱審議委員会では朝青龍が格下の相手である小結、稀勢の里に対して奇襲攻撃のけたぐりで勝ったことを「横綱の品格の面からみて、してはいけない。委員全員が同じ意見だった」と話したとか。冗談も休み休み言ってくれ。その技はちゃんと認められている決まり手だろう。反則なら反則だとちゃんと明記すればいいだろう。横綱禁止の技ならちゃんと横綱禁止と言えばいいだろう。かつて雷電為右衛門がいくつかの技を禁じられていたそうだから先例もある。それをあとからいちゃもんをつけやがっててめえいったい何様だ。
内舘マキコとかいうおばはんも朝青龍のこの取り組みにケチをつけてるそうじゃないか。文句があるならまわしを着けて土俵に上がってきやがれ。石橋委員長は「最初はフラフラしていたが、よくこらえた。けたぐりのことは本人も自覚していると思う。きょうの話は師匠から本人に伝えてもらう」と語ったそうだが、フラフラしていたというのはあのいったん背中を向けて押し出されそうになったのにすばやく振り向いた取り組みのことをさすのか。オレはどっちかというとその速さにたまげたんだぜ。最初から最後まで朝青龍は強かったぜ。オレは断固として朝青龍を支持する。もしも彼がいなかったら横綱不在で国技はほろびていたんだぜ。それともコロコロ負けるヘタレ野郎を横綱にして八百長でその地位を維持させたかったのかい?
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