2006年11月10日(金) |
いらない子どもはここに捨ててください |
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熊本市の「慈恵病院」(蓮田晶一院長)が、親がさまざまな理由で養育できない新生児を受け入れる「赤ちゃんポスト」の導入を決めた。同様の仕組みはドイツにもあり、すでに60ヶ所以上の赤ちゃんポストが設置されている。日本では初の試みで、年内にも開設されるという。病院の側は「中絶や置き去りで子どもの命が失われるのを防ぎたい」と説明する。しかし当然のように親の養育放棄や捨て子を助長するとの批判もあるわけで、この導入の是非は議論を呼びそうである。
オレもこの赤ちゃんポストがベストの方法であるとは思えない。しかし、現実問題として望まれない妊娠があり多くの妊娠中絶があり、生まれてからも虐待されたり捨てられて死亡したりする赤ちゃんがいるわけで、そうした悲劇から一人でも救うことが出来るならそれはそれでましなことだとオレは思うのである。「養育放棄や捨て子が助長される」という批判に対してオレは言いたい。そういう親のところに子どもを置いておくことよりも、そんな子どもにこそもっと良い環境を与えてやることが子どものためになるのではないかと思うのである。
そうやって預けられた赤ん坊の里親になってくれる善意の夫婦がいれば養子縁組すればいい。そして引き取り手がなければ国家の子どもとしてきちっとした教育としつけを与えて育てればいいのである。児童福祉施設を充実させ、孤児たちの親代わりとなって献身して働いてくれるくれる人を募集し、そこで将来の日本のために働く有為の若者を育成すればいい。孤児とは呼ばず、国家の子どもたち(ナショナルチルドレン)と呼べばどうだろうか。誰の子どもでもないかわり、その子たちは日本という国家の子どもであるのだと。おそらく虐待してろくに子育てしないクソ親に育てられるよりも彼らはよほどちゃんとしたしつけを身につけることができるだろう。
古代ギリシアの国家スパルタでは、新生児は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に遺棄された。男子は7歳で家庭を離れ共同生活を送り、12歳から本格的な肉体的訓練とスパルタ人としての教育を受けたという。子育てを国家がコントロールしていたわけである。ここまで過激なことは求めないけれども、そうした児童養育システムに一定のアドバンテージを与えることは可能である。少なくとも現状の若者の姿を見る限りにおいて、一般家庭で育つことの弊害の方が目につくわけでありそういう意味に於いてはこのナショナルチルドレンたちが一般の家庭で育った子どもよりもあらゆる面ですぐれているという評価が高まることで逆に社会のエリートとしてもてはやされることがないとも言えないのだ。
慈恵病院ではこの赤ちゃんポストを「こうのとりのゆりかご」と呼び、敷地内の病棟の外壁に穴(45センチ×65センチ)を開けて「窓口」を新設し、窓口内にはマットを敷いて親が新生児を寝かせることができるようにし、室温は保育器と同じ約36度に保つという。新生児がそのポストに置かれるとセンサーで感知し、24時間態勢で看護師らが待機するナースステーションのライトが光って知らせるという。その後、病院は警察に届け出たり、行政と協議したりしながら、乳児院に預けることや里親登録制度の活用などを検討するという。少なくとも赤ちゃんの命は救われるわけだ。また警察はそこに赤ん坊を捨てた親に対しては「保護責任者遺棄」罪を適用しない方針だという。熊本南署では、病院に預けたのは生命の安全を図るための措置であり保護責任者遺棄には当たらず問題はないとの見解を示している。もっとも捨てた後で親の気が変わった場合にも備えて、窓口には病院の電話番号などを記載した文書を置いてあるとか。
慈恵病院の徳光正敏・事務部長は「中絶や置き去りなどで子どもの命が失われることを防ぎ、同時に中絶でダメージを受ける母親を救うためにできることをしたい」と話している。ちなみに2005年度の国内妊娠中絶件数は28万9127件で、未成年者がその1割強の3万119件を占めている。(この件数が実数なのかあるいはかなり過小な数値なのかオレにはわからない。)毎年30万人近い胎児がせっかくこの世に生を受けながらも生まれ落ちる前に処置されてしまっているのだ。この子たちを一人でも救いたいと願うその運動にはオレも賛成したい。捨て子を助長するという批判もあるが、子どもを捨てようとする親にそのまま育てられることが幸福であるとはオレには思えない。そのひどい親から別れて自分一人の新たな人生のスタートを切ることの方がはるかに子どもにとって大切ではないか。
「親や生い立ちなどを知ることのできない子どもの心のケア」の問題は、どんな人がその施設の運営に携わるかによって決まる。仕事だから仕方なくやってるというダメ公務員の勤務先にするのではなくて、真の愛情を持って子どもたちに接してくれ、親代わりになってくれる人が運営に携われるように工夫すればいい。施設の子どもたちに「お父さん」「お母さん」と呼ばれて慕われるような人が携わればいいのだ。兄弟のものすごく多い家庭をイメージすればいい。オレはこの赤ちゃんポストに捨てられた子どもが、いつか有為の若者となって未来の日本の繁栄を背負ってくれることを願ってやまないのだ。
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