2006年07月17日(月) |
お母さん、どうして私を殺したの? |
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畠山鈴香容疑者はやっぱり自分の娘も殺していた。米山豪憲君の殺害容疑で彼女が逮捕されたとき、誰もが「もしかしたら事故死のはずの彩香ちゃんも?」という疑いを抱きつつ、さすがにそんなやりきれないことを想像したくはなかったのである。ただ、週刊誌から得られる情報は、鈴香容疑者のわが子に対する「ネグレクト」があったという証言ばかりだった。
鈴香が男を部屋に引き入れていたために、寒い冬の夜も娘を外に追い出したこと。満足に食事を作ってもらえない彩香ちゃんはカップ麺のお湯を近所の家にもらいに来たこと。風呂にもろくに入れてもらえず、いつも汚れた服をきていたこと。近所の人たちはみんなその事実を知っていた。おそらく虐待の事実も周知のことだったのだろう。学校行事にもほとんど参加せず、娘の彩香ちゃんを「疎ましかった」と供述した鈴香容疑者にとって、彩香ちゃんの存在は自分の気ままな生活のじゃまものでしかなかったのだろうか。
子どもは親を選べない。そんな母親であっても殺された彩香ちゃんにとっては大切な母親だったはずだ。どんなにひどい親であっても、子どもはその親を頼るしかないのだ。ごくまれに母親が見せた気まぐれの愛情が、彩香ちゃんにとっては宝物だったのかも知れない。彩香ちゃんが雪の中で震えているのを近所の人が見かねて家に入れようとしても、母親に気を遣って彼女はそれを拒んだという。自分が虐待されている事実も、母親を守るために必死でこらえて彼女は誰にも語らなかったのだろうか。もしかしたら仲良しだった米山豪憲君には語っていたかも知れないが・・・。
親による子ども虐待の事件の報道に触れるたびにオレは思う。なぜ隣人は救えなかったのかと。ただこの事件にはまだいくつかの謎が残る。彩香ちゃんは首の骨を骨折していたという。橋の欄干から突き落とされたのならその骨折は説明できる。しかし、当初発表された死因は「溺死」ではなかったか。転落によって死亡したのならこれは明らかに矛盾する。そして、「事故死の方がいいでしょ」と警官が言ったという話も気になる。つまり、警察は最初から母親による子殺しの線を想定しながらも、「事故死」にしておきたかったというなんらかの理由が存在したという謎だ。おそらく初動捜査のミスだろう。それを警察は隠蔽しているのである。
自分の手で殺しておきながら、捜索願を出し、ビラを配って訴えたというこの母親の行動は常軌を逸しているが、遺影を抱いて運動会にやってきて来賓席にいたというあたりはもう悪い冗談と言うしかない。世の中にはどうしようもない人間というのが存在する。それが他人ならできるだけ関わり合いにならないようにすれば済むだけのことだ。しかし自分の肉親なら逃れようがない。
畠山鈴香容疑者にとって最大の悲劇は、この世で唯一自分をちゃんと愛してくれていたはずのわが子を、自分の手で殺してしまったことである。彼女にとって真に守らなければならなかったのは一時の快楽の相手として自分を求めるくだらない男どもではなく、絶望的な状況の中でも母親を愛して健気に生きようとする娘だったんだ。何が自分にとっての宝物であるかに気づかず、逆に殺してしまったことを一番後悔しなければならないのは鈴香おまえなんだ。なんてことだ。すべて悪い冗談だったとしかオレには思えないぜ。早く死刑になってあの世で娘にちゃんとお詫びしてこい馬鹿野郎。
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