江草 乗の言いたい放題
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2006年06月24日(土) 医師の息子に生まれるということ        ブログランキング投票ボタンです。いつも投票ありがとうございます。m(_ _)m 携帯用URL by Google Fan

 今の日本には職業選択の自由がある。この自由がないのは唯一天皇家の男子だけだ。それ以外の庶民の家に生まれてきたならば自分の好きな職業を選べるはずである。医師の息子に生まれてきたからといって別に医師にならなければならないわけでもない。しかし、多くの医師はわが子が自分の職業を継いでくれるのを望むのだろうか。その仕事の苦労を分かった上でそれでも同様の人生を歩ませようとするのか。一介の暴言野郎であるオレにはわからない。

 こんなオレもかつては医学部を目指す受験生だったのだ。だから、先日の奈良県・田原本町で起きた一家三人焼死事件で自宅に放火した高校一年生のことについて書きたいと思う。なお、最初にこの事件を報道した際、朝日新聞の夕刊はその高校一年生の名前も通ってる高校も実名で記事にしたのだが、毎日新聞ではどちらも伏せられていた。オレは朝日の記事を読んだときには、長男の遺体は焼け跡でまだ見つかっていないのかと思ったのだが、一緒に届いた毎日が名前を伏せてるのを見てすぐに「重要参考人だな」と分かった。するとその時点でなぜ朝日新聞は実名報道していたのだろうか。日頃声高に人権の擁護を語る新聞社にしては信じられないミスじゃないかと思ったが、まあボンクラ記者がよくわかりもしないで記事にしてしまったのだろうと勝手に判断する。オレの手元にはすでに非公開になってる少年の実名や通ってる学校名(実はこれがかなり重要な要素なんだが)が新聞記事の形で存在するのである。

 話を戻して、なぜただの露天商の息子であったオレが医学部に行こうとしていたかだが、物心ついた時から優等生で、いちおう地元では一番の公立高校に入ったオレとしては、医学部を目指すというのは一つのお約束みたいなものであった。無医村に行って困った人を救いたいとか、難病を撲滅したいとかそんな明白な意志があったわけでもなく、金持ちに成り上がれる唯一の手段が国公立の医学部に入って医師になって高収入を目指すことだとオレは思っていたから、そして自分の成績でそれは不可能ではないと思えたからそういう夢を持っていただけのことだ。

 進学校ではみんな勉強している。成績の悪いヤツも実は勉強している。素質があってしかも勉強しているヤツばかりなのだ。もちろんこのオレも最初は「オレは天才だから勉強しなくても大丈夫だ」と錯覚していたが現実はそんなに甘くなかった。結局一日に6時間くらい机に向かって勉強することとなってしまい、模擬試験の時も志望校に「京大・医」とか「慶応・医」などと書いていたのだが、ある日突然人生に対して投げやりな気持ちになり、その時のオレは別に医学部にどうしてもいかなければならない事情などなかったからあっさりと敵前逃亡した。文学部というもっとも医学部からかけ離れた世界へと進んだのである。

 幸いオレには逃げるという自由があった。もしも医学部受験から逃げることができなかったら、そして東大や京大以外の選択肢を親が許さなかったとしたらどうだろう。そんな狭き門を抜けることができるほんの一握りの存在になれる自信がなければどれほど閉塞感を感じるだろうか。

 教師であるオレはそこそこの成績の生徒には「もっと頑張れ」と言うが、真の優等生に対してはそんな励ましは言わない。世間の多くの教師はかつて「普通の受験生」だったわけだが、少なくともオレはそれを突き抜けたところにいた「到達者」だったと思っている。もと普通の受験生だった教師たちが「もっと頑張れば」と思うのは自分のモノサシで目の前の生徒を計ってるからであり、自分を遙かに超えたステージに立っている「到達者」である生徒に対して「もっと頑張れば」なんて頓珍漢な発言をするべきじゃない。「到達者」に対してオレは「好きにしろよ、おまえの人生なんだから」と言うだけだ。

 入ること自体がかなりの難関であるその有名進学校にこの少年は入学できた。しかし、そこでさらに上位に定着するだけの成績はとれず、それを父親から責められていたわけだ。そこそこの成績をとれる優等生ではあっても、「到達者」ではなかったのだろう。そのことに気がついた彼は、「身の丈にあった進学先を選ぶ」という選択肢をとらず、かといって「勉強そのものをやめる」という選択肢も選ばなかった。自分に「医学部受験」という進路以外を許さない厳格な父親に対して彼がとったのは、父親の最も大切なものを奪うという行為だった。これはそんな事件ではないだろうか。オレにはそんな気がするのである。自分から実母や実の妹を奪った父親に対する復讐がこの行為ではなかったか。祖父母の家によく泊まっていたということは、父と継母が支配する家で強い疎外感を覚えていたからに他ならない。

 そういう場面で「自殺」という自己否定に向かう者もいるだろう。しかし彼が否定したかったものは自分を取り巻く疑似家族であり、成績という絶対的なモノサシで自己を支配しようとする父親と、その忠実なしもべであった母親ではなかったか。父が不在の時を狙って放火したのは、両親とも失うことのリスクを考える計算が働いたからではないか。そんな種々のことを思う。

 そしてオレはどうしても父親の立場で考えてしまうのだ。この少年が逆送されて刑事裁判を受けたとして、10年もすれば仮釈放されてくるのである。自分の妻と子どもたちを奪ったという点に於いては、山口県の母子殺害事件の本村洋さんと殺人犯の関係と変わらない。ただその殺人犯が息子であるという点を除いては。その息子を父親はどうやって受け入れればよいのか。その殺意の源泉が、自分の課した教育にあったという事実をどう理解するのか。日頃殺人犯に対しては厳しいことを書くオレも、今回の事件ばかりはちょっとそんな気にはなれない。もちろん「放火殺人」という行為を擁護するものではない。

 彼は逃げ出したかったんだ。民家に入り込んでワールドカップを観ていたという点からもそれはよくわかる。しかし、両親や弟妹と一緒に暮らす家では、のんびりサッカーを観戦できるような、いわば同い年の高校生の当たり前の生活……が充たされなかったのである。どの時代にも親子の葛藤はある。そして理不尽な親もいれば、物わかりのいい親もいるし、全く何も考えていない親もいる。親は子どもを持つも持たないのも自由だが、子どもは自分の親となる人を選べない。「こんな家に生まれて来たくなかった」と思っても、すでにその宿命は始まってしまっているのである。


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