2006年03月26日(日) |
絵馬に関する一考察 |
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個人日記の更新が最近滞っていました。いくつかネタがあるので書いておきます。ヒマな人はごらんになってください。
神社に行くとオレは必ず絵馬を眺める。そこに参拝する人がどのような願いをこめて賽銭を投げたのか、それが知りたいからである。受験シーズンの今はやはり「合格祈願」のものが多い。「○○大学合格祈願」というノーマルなものが主流なのだが、一枚の絵馬に複数の大学を書いてる欲張りもかなりいる。ただ、そういう絵馬から併願パターンがうかがい知れるからそれもまた面白い。関西の学校を例に使って説明するが、
「同志社大学・関西学院大学」
「近畿大学・京都産業大学」
という組み合わせを見ても特に違和感はない。その絵馬を奉納した受験生の学力レベルもそれ相応のところなのだろう。しかし、中には意味不明のものもある。
「京都大学・立命館大学・龍谷大学・大阪経済法科大学・奈良産業大学 合格祈願」
と書かれた絵馬をオレは見たことがある。そんな併願をする受験生が地上に存在することがオレには不可解だった。この5大学の法学部の入学試験偏差値ランキングを列挙すると68、62、55、47、39となって実に上下30近い差があるのだ。いったいそいつの実力はどのあたりなんだ。
「前の席に賢い人が座ってくれますように!」おいおい、カンニングするんか!
「どこでもいいから大学に合格できますように」謙虚すぎるじゃないか!
「金欄短期大学に入れますように」学校の名前の字が間違ってるじゃないか!(「欄」じゃなくて「蘭」だろう。)
オレの持論なんだが、受験生のうち30%は全く勉強しないで入学試験を受けているはずだ。そして残りのうちの30%はいちおう勉強はしているが、それは大昔のハードディスクのように記憶容量の小さい爬虫類レベルの脳に詰め込まれた最小の知識で無謀にも試験会場に来ているに違いない。基本問題が驚くほど出来ていないと大学に勤務する友人は嘆く。分数がわかっていない大学生どころじゃないのだ。動詞の不規則変化が分かっていない受験生はgoの過去形をgoedにしてしまうらしい。(まだedをつけるルールを知ってるだけ偉いのかも知れないが)
逆に言えばちゃんと努力して真の学力をつけている受験生は全く心配ないのである。まわりの連中はほとんど馬鹿だから自分の力を出せば必ず勝てるのである。ろくに勉強もしないで神仏にすがるという時点ですでにアウトだ。わざわざ神社にやってきて絵馬を奉納するヒマがあったらその時間で勉強したらどうだ。受験を宝くじのように考えていて、たくさん受ければどれか合格すると勘違いしてるヤツも多い。勉強したことのないヤツほど己の愚かさを知らないのである。
さて、絵馬の中身で受験の次に多いのが恋愛・結婚がらみの内容である。
「夫婦げんかしないで仲良くいられますように」おそらく新婚だろう。
「良縁があってすてきな結婚ができ、かわいい赤ちゃんが生まれますように 55歳女」もう遅すぎるって!
「モトくんの浮気癖が治りますように」治らないよ。
「わたしが好きになれるようなすてきな人と出会えますように」相手があんたを好きにならないって。
「恵まれないぼくに愛を与えてください」そんなこと知るか!
「さくらぐみのゆりちゃんと結婚できますように」早すぎるぜ!まだ幼稚園だろ。
オレはこの絵馬というモノを奉納したことがない。まあ神仏に大して期待していないからだが、運命を切り開くのは自分の努力しかないと信じるからでもある。いったい一枚につきいくらくらい掛かるのだろうか。自分で木を切って作って持参した絵馬を勝手に掛けてもいいのか。そんなことをオレはあれこれと考えるのである。そう思いつつオレは神社に行くたびについつい絵馬を眺めてしまうのである。そこに書かれてる多くの人々の錯綜した願いに圧倒されつつ、たまに見掛ける子供の純粋な願いに癒されるのである。
「好き嫌いがなくなりますように」
「お父さんお母さんがいつまでも元気でいてくれますように」
「ドッジボールが上手になれますように」
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