2006年03月21日(火) |
ワシら素人なもんで粉飾決算見抜けませんわ |
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「江草こだわりの店」を更新しました、ぜひごらんになってください。
1997年に経営破綻した旧山一証券の粉飾決算に関して、山一証券の元株主81人が総額3億2000万円の賠償を求めて同社の監査法人である中央青山監査法人を訴えた訴訟の判決が3月20日、大阪地裁であった。本多俊雄裁判長は「監査基準で定められた手続きをとっており、過失はなかった」として元株主たちの請求を棄却した。粉飾決算を見抜けなかったことに関して会計士はなんの責任もないのか。いや、おそらくは粉飾決算であることを承知しながらそれがばれないように協力したはずの連中に対して、なんのお咎めもないこの判決は一種の免罪符になってしまうのではないか。そんなことを今回の判決からオレは思ったのである。
監査っていったいなんなんだ。提出された書類を見て(本当に見てるのかどうか)、顧客である企業から報酬のゼニをもらって、「監査の結果、問題はありませんでした」と報告するだけの八百長でOKだということを今回の判決はある意味支持しているのだ。こんな大きな問題をなぜかどの新聞も小さくしか取り上げていなかった。同様にどのブログもたいして注目していないかも知れないのでオレがここで書くことにしたのである。
粉飾決算と言えばライブドアグループが今叩かれてるが、オレにはその監査をしていた港陽監査法人がその報告のウソを見抜けなかったとは思えない。それが見抜けないのなら監査の意味はないし、その内情を知りつつ積極的に関与して指導して、その結果として法外な報酬を得ていたと憶測する方が自然なのだ。
山一証券の事件の時、「天下の山一は絶対につぶれません」と言われて安心してその株や抵当証券を購入した人が多数いたらしい。それに比べてライブドアを「絶対につぶれない」と思っていた人がどれだけいたのかわからないが少なくとも比較にはならないだろう。山一の場合は実質的に経営破綻の状態だったのに巨額の簿外債務を隠していた。「これがばれたら本当につぶれる」という危機感からの行動であり(事実つぶれたのだが)、なんとかして会社を存続させたいという理由であったことを思えば、虚偽報告によって株価を値上がりさせて利益を得たいというライブドアの動機と比較してまだ同情の余地がある。
ところが監査に同情は不要だ。報告に不備があればあくまで「NO」を提示して、株主に対する責任を果たしてこそ監査の意味があるのだ。そして株主となる個人投資家は「ちゃんと監査されてるからこの報告を信じよう」という形で投資行動を起こすのである。真に成熟した証券市場を形成するためには、虚偽報告が許されるようなことがあってはならないし、見落としや虚偽報告への関与があれば速やかにその監査法人に対しての行政処分を行うべきである。いや、「業務停止」程度の軽い処分では巨額の闇報酬を選ぶヤツの方が多いだろう。株主代表訴訟を起こされたときには無制限に損害賠償の責任も負うという明確なルールが存在してはじめて「虚偽報告をする企業の監査はお断り」と答えられるのではないか。
オレは裁判の存在意義とは「社会に対して正義を提示して、市民のモラルを向上させること」だと思っている。不正や悪にまみれたこの日本社会の中で、唯一正義を実現できる機関が裁判所であるとオレは思いたいのだ。日本有数の馬鹿裁判官が揃っている大阪地裁にそんな高邁な理想を求めても意味のないことだが、それでもオレは期待していたのである。監査法人に対して賠償責任を命じることを。マンションの構造計算書偽装の問題と根っこは同じなのだ。なんのためにチェックする機関があるのか。市民は何を信じればいいのか。
山一証券事件に関するこの判決が、ライブドアに対する株主代表訴訟にも影響することは間違いない。ライブドア株で損をしなかった大多数の人は「そんなヤバイとこ買うから損するんでっせ」とせせら笑ってるのかも知れないが、本当にヤバいところならそれを上場させている東証にも責任がある。上場廃止を決めたのは「ヤバいところ」だと後からわかったからそうしたわけで、ヤバくないと思って上場させたのは監査法人がお墨付きを与えていたからである。ウソの報告をして自社株で一儲けしようという経営者はこれからも後を絶たないだろう。それによって個人投資家はこれからも損害を被るのである。株式投資というのはルール無用の鉄火場なのか、それともまっとうに形成された市場なのか。どうやらただのゼニの分捕り合いの場所のようである。少なくとも今回の判決でオレの受けた印象からそう思えるのである。だったらオレもそこにルール無用の無法者として参加するしかないのか。
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