2006年02月05日(日) |
無職37歳、趣味はゲーム |
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なぜ殺人事件を起こすヤツはたいてい無職なんだろうか。オレは仕事をしてるとかしていないとかで人を余り差別したくない。しかし、きちっと統計を取ったわけではないが人を殺すようなヤツには無職がかなり多いのである。まともに働いている人間は忙しくて人を殺してるヒマなどないのである。
それがまだ学校を出たばかりの若者や、定年退職して悠々自適の老人ならば無職というのもわかる。いい年をした働き盛りのオッサンが無職で、しかも趣味がゲームとなるとかなりそいつの素性を疑ってしまうのである。もちろんオレもゲームをしないわけではない。以前はかなりよくやっていた。しかしそれは他の遊びと同じく余暇を楽しむためのものであり、のべつまくなしそればかりしているわけではない。いつもゲームをしたり映画を見たりおいしいものを食べたりという高等遊民の生活にあこがれるが、そのためには先に死ぬほど働いてゼニを貯めないと無理だ。夏目漱石の小説「それから」の代助に誰もがなれるわけではないのである。たいていの人間はゼニが十分に貯まる前に定年になってしまうのである。
ところが飽食の現代、世の中には親のすねをかじったままで高等遊民になってしまうろくでもない馬鹿が無数に発生しているのである。息子がこんなのになったら親はたまらない。昔なら親も貧しくてそんなごくつぶしを食わせる余裕が無く叩き出したから、どんな馬鹿息子もやむなく自活するために働くしかなかったのだが、今は親の側に余裕があるものだから息子はいつまでもその親に寄生するのである。
オレは35歳になるのにまだ親からの仕送りを受けてぶらぶらしているヤツを一人知っている。そいつは「ぼく、働く気がないんですよ。仕送りが無くなったら生活保護もらうつもりです。」とニコニコ笑いながら言った。頼むから一刻も早くくたばってくれ。社会福祉というのはおまえのようなクソ野郎のために存在する仕組みじゃないんだ。オレの払った税金はおまえのようなクソ野郎の生活保護に使って欲しくないぜ。
ゲーム仲間の大学生を殺害、現金などを奪ったとして、愛媛県警松山東署は2月4日、強盗殺人の疑いで松山市の無職赤松忠司容疑者(37歳)を逮捕した。「1万円の借金の返済を迫られて口論になってやった」と容疑を認めているという。赤松容疑者は昨年6月頃にゲーム販売店で21歳の大学生、神原駿介さんと知り合い、その自宅に出入りするようになった。ときどき一緒にゲームをしたりするような仲だったという。そのうちに赤松は自分よりもはるかに年下の神原さんから借金するようになったのである。大学生の神原さんにとって、こんな変なオッサンからゼニを貸してくれと言われても迷惑だっただろう。親切で貸してやった1万円を神原さんが返してほしいと催促したところ、赤松はゼニを貸してもらった恩も忘れて、カッとなって神原さんの首を絞めて殺害、ついでに現金1万円と部屋にあった大量のゲームソフトやDVDを奪って、それを複数の中古ゲーム屋に売り飛ばしたのである。
殺された神原さんはまだ21歳の大学生だった。将来の可能性をいきなりこの37歳無職のオッサンによって断ち切られてしまったのである。ご両親はたった1万円のために奪われた息子の命をどれほど無念に思っただろうか。
「大富豪でもないのに働いていない人間にろくなヤツはいない」とオレはいつも思う。人は社会の中で何らかの役割を必ず果たすべきであり、能力に応じた納税や勤労の義務は誰もが背負っているものだ。もちろん一方的なリストラによる失業や、病気によって休職を余儀なくされたというケースもあるから無職をひとくくりにすることは出来ない。ただ、学校を出てからの長い年月のうちに、人は自分が社会の中でどんな仕事を出来るのかということをよく考えて、それをちゃんと生業にすべきである。高度な知識や教養、専門的な技術を必要とする職業は高収入のものが多いが、誰もがそうした職業に就けるわけではない。努力しない者はもちろんそこに至ることはできない。若者が夢を持てない社会なのではなく、夢を手に入れる努力を最初からしない若者が多いのである。何もしなければ傷つくことはない。「自分はやればできる」と思いながら何もしないで人生を終えてしまうのはもしかしたら幸福なことかも知れない。実際は「やってもできない」人間の方が圧倒的に多いのだから。
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