2005年11月15日(火) |
おーい入鹿くん、真相を教えてくれ! |
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明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)のふもとにある甘樫丘東麓遺跡で、掘っ立て柱建物5棟や塀などの遺構が見つかった。今回の建物跡は、大化改新のクーデターで中大兄皇子に殺された時の権力者、蘇我入鹿の邸宅跡の可能性が高いという。
かつて歴史を専攻する学生だったオレは思うのだが、仏教を日本に取り入れたりする時に大きな役割を果たした蘇我氏の一族は、もしかしたら天皇家よりも上位に位置していたのじゃないかという疑問である。それは、帝紀や本辞といったそれまでの歴史を伝える書物が後世に残っていない(一説には自殺したという蘇我蝦夷の屋敷にあって焼けてしまったという)ことや、その「帝紀・本辞」の内容をそのまま伝えず、天武天皇が独自の解釈を加えて稗田阿礼(当時28歳)に読み聞かせて覚えさせたことである。
その場ですぐに稗田阿礼に暗誦させた内容を別の紙に書き写せばよかったのに何十年も経ってから元明天皇の時代にが太安万侶に協力させて作った古事記。それよりさらに8年後に舎人親王と役人たちの手で完成した「日本書紀」というのはどうも胡散臭いのである。編集の過程で自分たちの祖先が戦った相手やクーデターで殺した相手のことを悪逆非道の人物に描くのに決まってるのである。武烈天皇のくだりなんか、司馬遷の「史記」の中身をぱくったとしか思えないぜ。
入鹿(いるか)とか馬子という名前も変だ。動物の名前をわざわざ名前につけるのか。それもヘンテコなものを。蝦夷(えみし)なんてもっと変だ。なぜ大和朝廷から差別されていたはずの東北に住んでいた民族の名を名前にしてるのか。本当はもっとカッコいい名前があったはずなのに、後世の連中が勝手に変な名前を付けたに決まってるのだ。おまえたちはなんて卑怯なんだ。
中大兄皇子なんて、有馬皇子に謀反の罪を着せて処刑したり、弟の恋人だった額田王を強引に奪ったりと、とにかくやりたい放題である。ところが「大化の改新」なんて言葉で、正義が悪を倒したかのように教科書には出てくるのである。歴史の中でどっちが悪かなんてわからないぜ。オレに言わせれば権力を握るために人を殺してもいいと考えた時点でどちらも悪人だ。
もしもタイムマシンなんてものが発明されて過去の事実が完全に解き明かせるのなら、オレは蘇我入鹿にインタビューしたいのである。どんなヤツだったのか逢ってみたいのである。もちろん、鼻持ちならぬ野郎のはずの中大兄皇子も、絶世の美女だったといわれる額田王にも逢いたいのである。実際に逢ってみて「なんだブスじゃないか!現代では絶対に通用しないぜ」と思うかも知れないが。最後に天武天皇に文句を言いたい、おまえは「帝紀」や「本辞」をなぜちゃんと保管させなかったんだ。おまえの不始末のせいで歴史が正しく伝わっていないじゃないか。もしかしてそれがおまえの狙いだったのか!
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