2005年09月28日(水) |
やいプーチン、おまえはクソだ |
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北方領土問題に関して、露助(ロスケ、オレが好んで使うロシア人を蔑視した言葉)の行った残虐行為を世界に訴え、領土の回復を求めた日本の首相がかつて一人でもいただろうか。コイズミよ、このプーチンの暴言をおまえは許すのか?北朝鮮の拉致問題を訴えるならば、多くの同胞がシベリアに拉致されて極寒の中での労働で殺されたことをおまえはいったいどう思ってるんだ。
ロシアのプーチン大統領は9月27日、テレビとラジオの生放送に出演し、国民から寄せられた質問に答えた。その回答の中でプーチンは北方領土問題について言及し、四島をロシアが領有している現状の正当性を強調する一方「両国が満足できる解決策を見つけたい」との意欲も表明した。おまえが占領の正当性を主張する限り、両国が満足できる解決策などあり得ないだろう。ふざけるのもいいかげんにしろ。
なぜ日本政府は北方領土がソ連軍に占領されたいきさつを世界に広く訴えないのか。千島列島の北東端にある占守(しゅむしゅ)島には、8月17日に突如ソ連軍部隊が強襲上陸を開始、島を守備していた第91師団との間で激しい戦いになった。日本軍は唯一の上陸可能地点である竹田浜に殺到したソ連軍部隊に砲撃を集中し、3000名以上の損害を与えたが、内地からの停戦命令に従って攻撃を停止、停戦交渉のために白旗を掲げた軍使を送った。ところがこの軍使をソ連軍は射殺し、武装解除に応じた日本兵は銃殺されたりシベリアに送られたりしたのである。
もしも内地からの停戦命令を聞かずにそのまま戦闘を継続すれば、ソ連軍の上陸部隊は壊滅していたはずである。この事実をいったいどれほどの日本人が知っているだろうか?サンフランシスコ講和条約で日本は北千島や樺太を放棄した。国後島や択捉島はその時に放棄した領土には含まれていないと解釈されていたし、ソ連側もそこには米軍が駐留していると当初は思っていたのである。ところが米軍が両島にいないことを知ると、火事場泥棒的に占領してしまったのである。ついでに明らかに北海道の一部である歯舞や色丹も占領してしまったのだ。
あれからもう60年も経ってしまった。60年間、日本の外務省やヘタレ政治家は何も発言しなかったのだ。プーチンはどうせ「それはソ連政府のやったことであり我々とは無関係」とほざくだろう。我々日本人にできることは、事実を広く世界に訴えることだ。昭和20年8月22日、ソ連軍の潜水艦が樺太から小樽に向かう引き揚げ船2隻に向けて魚雷を発射、1隻を砲撃してそのうち2隻を留萌沖で撃沈した。死者・行方不明者は推定1708人。この惨劇を我々日本人は忘れてはならない。この件に関して公式に抗議した日本の政治家は一人もいない。この件に関してオレは断じてロスケを許さない。戦争はとっくに終わっていたのに、日本に帰れるのを楽しみにしていたのに、どうして北の海で多くの命が失われたのか。三浦綾子の小説「天北原野」はこの悲劇について触れた数少ない作品の一つである。
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