2005年07月18日(月) |
こんな図書館はぶっつぶせ! |
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千葉県の船橋市立西図書館ではきれいな本でもじゃんじゃん捨てるのである。普通図書館が廃棄するのは古くなって壊れた本であったり、内容が古くなって保存する意味がなくなった本だけだと思っていたがそうでもなく、気に入らない著者の本はばんばん捨てる図書館もあるのだ。オレは「司書」というのは公平にいろんな種類の本を利用者のために集めるモノだと善意に解釈していたのだが、実際はそうではないことを知った。
この船橋市立西図書館では、「新しい歴史教科書をつくる会」メンバーの本に限ってどんどん捨てていたのである。西部邁の本は44冊中43冊を廃棄、渡部昇一の著書も58冊のうち半数近い25冊を廃棄した。廃棄処分になった一般書籍187冊の内、「新しい歴史教科書をつくる会」関係者の書籍はなんと110冊以上に上った。これは明らかにおかしい。木村館長は「政治的、思想的意図はなかった」と説明したが、そんなわけがないだろう。
結局、著書を一方的に廃棄された側が「不当な廃棄だ」として、船橋市に慰謝料などを求める裁判を起こした。ところが一審の東京地裁と二審の東京高裁は市の主張を認めて著者側の賠償請求を退ていたのである。つまりこの現代の焚書坑儒を黙認していたのだ。「市民の閲覧権は侵害されたが、著者の権利侵害にはならない」と。不当に本を廃棄された著者の表現の自由が侵害されたことは明らかじゃないのか?
公務員である公共図書館の司書は、少なくとも公益に従った行動を取るべきであり、右寄りの本も左寄りの本も公平に集めることが必要だ。7月14日、最高裁はこのおかしな1、2審判決を破棄し、慰謝料の算定をやり直すために審理を東京高裁に差し戻した。司法はやっとまともな判断を下したのである。判決は「著作者には公立図書館で自分の思想や意見を市民に伝える法的利益がある」との初判断を示し、市による利益侵害を認めた。
しかし、廃棄した職員個人への賠償請求はすでに最高裁への上告で棄却されている。なぜだ?今回の事件で一番責任を問われないといけないのは、自分の思想に合わない本を勝手に捨てた司書、土橋悦子じゃないのか。オレが船橋市民ならばそいつの懲戒免職を要求する。しかもこの女は自分の書いた絵本「ぬい針だんなとまち針おくさん」計35冊、訳書「メリーゴーランドがやってきた」計32冊の合計67冊を公費で購入させているのである。自分の書いた本は公費で買わせ、気に入らない本は勝手にどんどん捨てるのだ。全くとんでもないヤツである。
私立大学の図書館や個人の設置した図書館ならば、どんな偏った本を置こうと自由だ。しかし、公立の図書館ならば、市民が読みたい本はきちっと揃えないといけない。みんなの見たい本で図書館に置かなくてもいいのは無修正のエロ本だけだぜ。
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