2005年07月08日(金) |
クソガキのケツには爆竹を! |
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埼玉県警の巡査が、交番に爆竹を投げ込むイタズラを繰り返したクソガキをつかまえて顔を殴ったところ、その生徒が暴行でその巡査を訴えるという事件があった。埼玉県警は生徒の家族に謝罪し、最終的には生徒は被害届を出さないで巡査の暴行は立件しないという一種の「痛み分け」ということになったという。
オレはこの事件を聞いてあきれている。何よりもこのクソガキの親に対してあきれている。発端はてめえのクソガキがよりによって交番に爆竹を投げ込むような救いようのないイタズラをしたからだろう。まだ殴るだけですませるその巡査は寛大な方である。もしもオレがその交番にいたら間違いなく射殺だ。「交番に爆発物が投げ込まれたので容疑者のクソガキを射殺しました」と胸を張って答えるだろう。イタズラを繰り返したクソガキを発見してバイクで追跡し、転んだクソガキの顔を拳で二発、腹を一回蹴るのは教育的指導としては手ぬるい。オレなら追跡中にその自転車をはね飛ばして粉砕し、ついでにクソガキも体当たりして川に転落させてやるぜ。それくらいしてやらないと、そのクソガキに自分の罪の重さをわからせることはできないだろう。
こんなふうに厳しくて正しいおまわりさんがどんどん街に増えて、路上喫煙の少年をぶん殴ったり、シンナーを吸ってるバカの顔にバケツの水をぶっかけたり、援助交際をしてる女子高生をふんづかまえて公衆の面前でケツに平手打ちを喰らわせるなどすれば、もっと日本の治安もよくなるはずだ。「暴力はいけない」というのは建前の上では正しい。しかし、これはまともな相手にだけ通用するルールであり、相手が無法者なら、その無法者を退治するために時には暴力も必要だとオレは思うのである。自分が先に悪いことをしておきながら「暴力はいけない」と主張するような無責任なクソガキは存在するだけで社会の害毒である。核兵器を使ったアメリカにはナチスドイツを批判する資格がないのと同じだ。
クソガキを殴った巡査は「少年が反抗的な口をきいたので、暴力を振るってしまった」と言い、反省しているそうだ。反省なんかしなくていい。あんたは正しいことをしたのである。それなのに反省させられるのは埼玉県警の上層部が間違ってるのである。自分のイタズラを棚に上げて文句を付けてきたその甘えたガキは、ケツに爆竹を突っ込んで火を付けてやればいいのである。自分のイタズラがどんなに危険だったか、そいつのカラダにわからせてやればいいのである。
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