2005年06月28日(火) |
遠井のゴローちゃん、なぜ死んだ? |
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遠井吾郎、プロ生活20年の通算成績は1919試合に出場、5281打数1436安打、137本塁打688打点、打率.272である。この記録自体は平凡かも知れないが、オレにとって彼の印象が強烈なのは、物心付いて野球をはじめて観るようになった頃の阪神タイガースの4番打者が遠井吾郎だったからだ。
彼は1958年に阪神に入団し、1966年には打率.326でリーグ2位(ちなみにこの年の首位打者は長嶋茂雄)を記録、藤村富美男が引退してから田淵が入団するまでの「貧打」阪神を支えた中心選手だったのだ。阪神ではあの江夏豊や村山実が活躍し、巨人には王・長嶋が君臨してV9を達成した時代に阪神の4番を打っていた男がこの遠井吾郎だったのである。
入団したばかりの掛布は「あんなに腹が出てるのになぜ上手に内角球が打てるのか」とその技術に度肝を抜かれたという。遠井は酒豪であったことでも有名で、試合が終わってからもよく飲みに出かけ、それでも翌日の試合できっちり活躍していた。鈍足で有名だったが、確かオールスター戦で一度奇跡のランニングホームランを記録しているはずである。失策をしないことでも有名だったが、それは単に鈍足のために守備範囲が極端に狭く、無理にボールを捕りに行かないからだったという説もある。実働20年の割に打数や安打数が少ないのは、試合終盤になると自ら申し出て守備固めのために退くことが多かったからである。
4番を田淵に譲ってからは引退する1977年まで代打の切り札として活躍した。正確にミートする技術は衰えず、代打出場だけで打率3割をこえた年もあった。その人柄から仏のゴローちゃんと呼ばれてファンに親しまれ、ファールフライを危なっかしくキヤッチするだけでスタンドが湧いたという。
かつてデブが多くて「阪神部屋」と揶揄されたチームの中でもひときわ巨体を誇った彼は、今のみんなスマートになってイケメン揃いのタイガースの選手達を見て何を感じていただろうか。退団後は曾根崎新地でスナックを経営していたという。もしかしたら店の酒をほとんど自分で飲んでしまっていたのではないだろうか。
輝かしい記録は残さなくても、阪神ファンの記憶にはしっかりと残ってる選手がいる。平成17年6月27日、遠井吾郎は肺ガンで入院していた東京都内の病院で死去した。享年65歳。彼もまた、多くの熱狂的な阪神ファンに愛されるタイガースの歴史と伝統を築いた選手の中の一人であったことは間違いない。阪神一筋に在籍20年は藤村富美男の23年に次ぐ長さである。
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