2005年05月18日(水) |
オレにも100億稼がせろ! |
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100億円稼いだサラリーマンがいるなんてすごいじゃないか。長者番付に載ることはゼニを稼ぐ人間の夢である。オレもいつかは株長者になってそこに名前を連ねたいという野望を持ってるんだぜ。その長者番付が廃止になるという。なんということだ。せめて、オレがその常連になるまで待ってくれ。(永遠に常連にはならない可能性も高いが)
どうして長者番付を公表するのか、それはゼニを稼いでも申告しない卑怯者を見つけるために公表するのである。「あいつ、あんなに稼いでるのに名前出ませんよ!」と密告したり、大金持ちのくせにやたら少ない税金しか納めない堤義明のような卑怯者を発見したりするためにもこの長者番付の公開は絶対に必要だ。その長者番付公開を「個人情報の保護」という観点から見直すのだとか。どうせ政治家どもが自分たちの所得隠しの口実で言ってるだけだろう。全く情けない連中だぜ。
金持ちであるということには数々の社会的な義務が伴う。高額の納税義務もそうだが、それ以外にも寄付を求められたり変な勧誘の電話が掛かってきたり、マンションを買いませんかとか先物取引を始めませんかとか、そのゼニには無数の詐欺師が群がってくるのだ。うっかり痴呆になってしまえば今度はリフォーム詐欺のヤツらに家をめちゃめちゃにされてしまう。それが金持ちの宿命なのだ。たちの悪い親戚からはゼニを貸してくれと催促の電話が掛かる。頭の悪い貧乏人に限って、ゼニを稼ぐことがどれほど崇高で困難な行為であるかを理解せずに「余ってるのならくれ!」とぬかすのだ。頼むから地上から消滅してくれ。オレの目の前には永遠に現れてくれるな!
しかし、そうしたうっとおしく面倒な毎日も、金持ちであるという事実がすべてを癒してくれるのである。ところがもしも長者番付を廃止して金持ちの存在が隠されてしまうならばこの苦しみは完全に消え去り、金持ちには極楽のような生活しか残らないことになってしまう。そんなことは絶対に間違っている。苦しみも与えないとだめだ。
100億長者になった清原氏は、築20年の古いマンションに住み、目立たない質素な暮らしをしているという。なぜそんな酔狂なことをしてるんだ。それでは金持ちの義務を果たしていないじゃないか。自宅は超高層マンションの最上階を広々と占有し、外出時にはフェラーリに乗り、遠距離の移動は自家用のヘリコプターを使い、寿司の出前を取るときはいつも特上、駅で立ち食いするのは天ぷら玉子そばというふうにリッチに行かないとダメだ。清原氏のしている株式投資してゼニを増やすだけの仕事ならオレも得意だぜ。毎年の運用実績は3年連続で大幅黒字だ。おまえらの雇ってるヘタクソファンドマネージャーの中には赤字ばかりのヤツも多いだろう。どこかの投資顧問会社よ、オレと契約してくれ〜。契約金はとりあえず1億で手を打つぜ。
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