2004年10月31日(日) |
どうしたんだ京大ギャングスターズ |
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京都大学アメリカンフットボール部・ギャングスターズと言えば大学日本一決定戦である甲子園ボウルへの出場8回、そのうち6回は見事に大学日本一を果たした名門である。
宿敵の関西学院大学を倒して1982年に初の甲子園ボウル出場を果たした年、オレは京大の4回生だった。甲子園ボウルで日大のショットガン作戦の前に65−21と完敗したとき、どれほど悔しかったことだろうか。だからこそ翌83年に京大が甲子園ボウルに連続出場し、今度は日大を30−14で打ち破って見事に大学日本一に輝いた時の喜びはとても大きかったのである。「日本一」という大きな見出しでそのニュースを伝えるスポーツ新聞は今でもオレの宝物で、1985年の阪神タイガース日本シリーズ制覇の新聞と合わせて我が家の家宝になっている。
大学生の頃、女の子にモテモテのアメフト部員たちがオレはうらやましくて仕方がなかった。練習している北白川グランドを見下ろす疎水べりの道には大勢の女性ファンが鈴なりになって詰めかけていたからである。もちろんオレのような小柄で軽量の人間はそんなハードなクラブからお呼びがかかるわけがなかったのだが。京大には他に強い運動部がなかったこともあり、新入生の中で体格のいい素質のありそうなヤツは根こそぎアメフト部員へと勧誘されていた。監督御用達のトンカツ屋に連行されて気が付いたらいつのまにか部員にされてしまうというパターンだったらしい。
その京大アメフトに大きな危機が訪れている。10月30日に大阪・長居球技場で行われた関西学生アメリカンフットボールリーグで、過去10回の優勝経験を誇る京大が近大に17−20で敗れ創部以来初の3連敗。優勝の可能性がなくなったうえに下位2校が対象となる入れ替え戦に回る可能性さえ出てきたのである。なにしろ残る対戦相手はいずれもここまで4戦全勝中の関西学院と立命館なのだ。30日の試合ではディフェンスラインが踏ん張れず、タックルやパントのミス、ファンブルも続出。水野監督は「こんな大事なときに一世一代のプレーができない。選手は自信を失っている」と嘆いているという。
もっとも京大が最後に甲子園ボウルに出場した1996年以降、関西では立命館大学が力をつけてきて関学・立命・京大の3強時代がしばらく続き、京大が脱落して今は関学と立命の2強時代になった。2002年、2003年の甲子園ボウルにはいずれも立命館大学が出場し、2回とも大差で関東代表チームを下して大学日本一になっている。いつかこの名門ギャングスターズは復活してくれるのだろうか。スポーツ新聞にもう一度「日本一」の文字が躍るのをオレは夢見てやまないのだ。
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