2004年10月20日(水) |
身長140センチ、体重16キロ・・・ |
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1999年4月、東京都羽村市のマンションで奈良岡晶子という16歳の少女が死んだ。発見されたとき彼女は身長140センチ(10歳児並)で体重13キロ(3歳児並)だったという。それから5年の月日が経過して、警視庁はその母親である奈良岡恒子(47歳)を逮捕に踏み切った。容疑はもちろん保護責任者遺棄致死の疑いである。
オレはなぜこのような事件が起きたのだろうかと考える前に、少女がそこまで痩せ細りながらも必死で生きたその健気さを思ってしまうのだ。母親に殺されることが生まれ落ちた時からの宿命だったのならば、なぜもっと早く楽にならなかったのか。なぜそんなに痩せ細ってしまうまで耐えたのか。そうやって何を訴えたかったのかと。
家庭内での虐待は密室の中で進行するために真相の多くは闇に包まれている。母親が妹を虐待してたことを二歳年上の姉は知っていた。そんな異常な世界にいたくなかったのか、姉は家に寄りつかず友人のところを泊まり歩いたという。福生署によれば、晶子さんは小学校入学時の健診を受けておらず、そのために面談した教育委員会関係者が、晶子さんには障害があり、言葉がしゃべれず一人で歩けないなどと判断していたという。中学校には一度も通学せず、小学校も「3年生までしか通っていない」と奈良岡容疑者は話している。はじめから就学の機会が与えられなかったのではなく、一時期でも学校に通っていたのなら、突然来なくなった少女の事情を学校はきちっと調べるべきだったのではなかったか。
衰弱した娘を医者に診せなかった理由として母親は「医者にみせれば施設などに入れられてしまうと思った」と供述している。施設に入れてもらえれば少女の命は救われたわけである。夫とは1984年に離婚しているわけだが、年齢から逆算すればその離婚の当時、晶子さんはまだ1歳だったことになる。新聞での報道にはこれ以上の詳しい事情は記されていない。
実の娘に対してこのような虐待を行う以上、娘が成人することを望まないという何らかの明確な理由があるはずである。そして父親にあたる男性が離婚後、自分の子どもたちと連絡を取らなかったのだろうかという疑問も湧く。もっともオレが想像するような親子の情なんてものをすべての人に等しく期待する方が無理なのかも知れないが。
飢えて衰弱していく娘の姿を見ながらこの母親はいったい何を考えていたのだろうか。たった50年ほど前のこの日本では、食べ物がなくて餓死した乳幼児もたくさんいたのだ。こんなにモノが有り余った豊かな飽食の国で、誰にも知られずにやせ細って死んでいく子どもがいる。オレにはわからんぜ。
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