2004年06月02日(水) |
わたし、人を殺しちゃった・・・ |
携帯用URL
| |
|
6月1日午後0時45分ごろ、長崎県佐世保市立大久保小学校(児童数187人)から「6年生の女児が首から出血している」と119番があった。消防署員と佐世保署員が駆けつけたところ、御手洗怜美ちゃん(12歳)が校舎3階の「学習ルーム」で首など数カ所を切られ、既に死亡していた。カッターナイフで彼女の首を切って失血死させたのは同級生の11歳の少女で、「大変悪いことをした」と涙ぐんでいるという。しかし、動機や呼び出した際の言葉などについては分かっていない。
給食の「いただきます」のあいさつをする際、担任教諭は2人がいないことに気付いた。ちょうどそのころ、この11歳の女児が着衣に血をつけて校舎3階の6年生の教室に戻ってきたという。担任が「その血はなに?」と問いただしたところ、女児は「自分の血じゃない。もう一人は学習ルームにいる」と話したので担任らが同じ3階にある学習ルームに行ったところ、怜美さんが血だまりの中に倒れていた。救急隊員が駆けつけたときは既に心停止状態だったため、病院へ運ばなかったという。右首に深い切り傷があり、手の甲にも傷があったが、ほかには目立った外傷はなく、大量出血による失血死とみられている。凶器のカッターナイフは学習ルームで見つかった。
各学年1クラスずつしかない小さな小学校の中で、どんな愛憎劇が存在したのかはわからない。ただ、相手を殺したくなるような感情がそこに存在したことはまぎれもない事実なのだ。
人は本当にあっけなく死ぬ。数年前に兵庫県でタクシー運転手を殺害してわずかなゼニを奪った少年少女のカップルがいた。少女が話しかけ、運転手の気をそらしたすきに少年は後ろからそっと手を伸ばして運転手の首をカッターナイフで横にざっくりと切った。首を深く切られて頸動脈が切断されればまず助からない。その行為が相手の命を永遠に奪う残虐な行為であることをその少年は理解していたのだろうか。共犯者の少女の親は少年の勝手な犯行を主張して今も被害者への賠償の支払いに全く応じないらしい。
拳銃も日本刀もいらない。日本中の100円ショップで簡単に手に入るカッターナイフ一つでいつでも人を殺すことができる。同級生を殺した11歳の少女は先生に向かって「わたし、○○ちゃんを殺しちゃった・・・」と語ったのだろうか。そんな子どもがどうやって自分の犯した罪を償えるのか。
だったら大人は殺人の罪を償えるのか。生き返らせることができない以上、命を奪う行為を償う方法などどこにもない。それなのにイラクやスーダンで分別あるはずの大人達が今日も虐殺を続けている。新聞に殺人事件の記事が載らない日など滅多にない。子どもはたまにしか殺さないが、大人は毎日人を殺している。
前の日記 後の日記