2003年11月14日(金) |
『GOTH』〜家族殺傷事件の真実 |
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オレの手元に『GOTH』という連作短編集がある。著者は乙一(おついち)、この夏に手に入れてすでに読んでいたのだが、大阪府河内長野市で発生した19歳の大学生による家族殺傷事件を知ったときになんとなくこの本のことを思い出した。少女に自傷癖があったと知ったときにオレの思いはもはや確信に変わった。少年少女は、この作品の主人公である少年少女、神山樹と森野夜に完全に自己を同一化させたのだと。
もちろん、著者の乙一氏にとっては予想もできなかったことだろう。この事件が理由で著者がどのような批判にさらされるかと思えば、かえって同情したいくらいである。
本の中のそれぞれの短編には必ず異常殺人者が登場する。自分が殺した女性を眼球や臓器に至るまで細かくバラバラに分解する男。冷蔵庫に切り取った人間の手首を大量にコレクションしてる男。自作の棺桶に近所の子どもを閉じこめ、庭に生き埋めにする男。そうした異常者たちとこの少年少女は関わりながら、自分たちもまた人を殺し、その肉体を切り刻むことへの異常な興味を感じるのである。目の前の無惨な死体を見ながら怖れることもなく、むしろ興味深くそれを眺めるのである。小説のヒロインである少女は、いつも黒い服を好み、人間を処刑する道具や拷問方法に興味を示す。少女の手首にはリストカットの傷跡がある。
GOTHとは文化でありファッションでありスタイルである。ネットでGOTHを検索すると多くのページがヒットする。この少女もGOTHの一人であり、今回の事件に関わった少女もまたゴスロリ(ゴシック・ロリータ)と呼ばれるファッションを愛したのだった。ネット上に記された彼女の日記には、オレの予想していたとおり7月24日にこの『GOTH』を購入したという記載がある。予感は見事に的中していた。事件を起こす前の10月26日に彼女はこのように記す。
自己。存在意義。生の苦しみ。他人。偽善。愛。
自分は認められているのか。何を。誰に。
誰かを信じることが出来るのか。どの程度。
この偽善に溢れる世で、どの笑顔が信じられるというのか。
どの涙が。どの言葉が。どの態度が。
日記の次の記載は11月1日。事件の当日である。そこには「いってきます」とのみ記される。オレは彼女について語る言葉を持ちえない。ただ深く絶望するだけである。彼女には現実社会のいかなるペナルティも意味を持たない。なぜなら彼女には罪を犯したという意識さえ存在しないからだ。偽善を嫌悪する彼女自身がまぎれもなく一個の偽善である。優等生を演じ、家族でカラオケを楽しむ彼女は、すべての物語を「つくりもの」だと理解しており、嵐が去ればまた教師である両親の庇護のもとに帰っていく。
彼女の闇に支配されて結果的に母を殺すことになった不幸な少年に帰る家はない。彼自身が壊してしまったからだ。生き残った父と弟が自分たちを殺そうとした存在を許せるはずがない。
日ごろ少年犯罪には辛口の発言をするオレだが、この少年に関しては寛大な裁きが下されることをむしろ願ってしまうのである。
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