2003年02月05日(水) |
弐千円札はどこへ消えた? |
携帯用URL
| |
|
今は亡き小渕首相の忘れ形見とも言うべき西暦2000年記念の弐千円札がなかなか普及しない。まるでオリンピックの記念硬貨みたいに死蔵されてるのだろうか。おつりでこの札をもらったことはこれまでにただの一度もない。職場からもらう臨時手当の中にたまに紛れていたことがあるくらいで、本当に流通しているのかと疑わしいほどである。そういうわけでオレはささやかながら弐千円札普及のために尽力しているのだ。
オレが口座を開いているUFJ銀行M支店では、両替機にいつも新札が入っている。大口預金者であるオレは銀行のさまざまなサービスを享受する権利がある。この両替機の新札だって同様だ。オレはさりげなく両替機に向かい、財布の中にあるしわくちゃの札をすべて取り出して、全部新札と替えてしまうのだ。この行為をオレはマネー・ロンダーリングと呼んでいる。汚れたカネをきれいなカネに換えるという意味だからだ。そのときに弐千円札を補充する。そういうわけでオレの財布にはいつも多量の弐千円札が入っているというわけだ。常時20枚以上は入っているだろう。(逆に一万円札や五千円札はほとんどないのだが)少額の買い物には必ずその弐千円札を使うようにしている。新札だから手が切れそうだ。数えにくいし、決して使いやすいとは言えない。それでもオレは小渕元首相の遺志を継いで普及に努めているのである。日銀表彰ものだぜ。
考えれば弐千円札の旧札などまだ一度も見たことがない。いったいどこに消えてしまうんだ。オレがこんなに必死でばらまいていても全然流通していないじゃないか。どうなってるんだ?いくらデフレ時代と言っても、ハードカバーの本は1600円くらいはする。フォルクスやロイヤルホストで二人で食事すればランチタイムでも2000円近くかかる。家族5人でマクドナルドに行けば、まさか全員が59円のハンバーガーと水というわけにもいかずやはり2000円近くかかってしまう。弐千円札が活躍する場面はたくさんあるはずだ。それなのにここまで流通しないということは異常だ。オレはそこに国家的陰謀の匂いを感じ取ってしまうのだ。
偽札造りを国家がやってしまうあの国が、もしかしたら弐千円札をこっそり回収しているのじゃなかろうか。使わないうちにみんな弐千円札の図柄など忘れてしまう。気が付いたらそこにはあのデブの肖像画があったりして。
前の日記 後の日記