2002年11月28日(木) |
人間にとってもっとも大切な権利とは |
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人間にとってもっとも大切な権利とは何か? 生存権は何よりも優先されるべきだろう。しかし、ただ生かされているだけではよりよく生きているとは言えない。病院で何本ものチューブにつながれてただ植物状態で生きている状態で「よりよく生きている」とは言えないだろう。よりよく生きているということは、生の喜びを甘受できることだ。生の喜びをもっとも強く感じる瞬間は、人を愛する喜びを感じる時だ。
恋愛の自由を奪われることは、人間にとってもっとも大きな喜びを享受する権利を奪われることに等しい。その自由を奪われている人々がいる。刑務所に収監されている凶悪犯の話ではない。全国に約10万人いる18歳以上の知的障害者たちである。多くの施設は「寝た子を起こすな」的発想で性の問題をタブー視し、妊娠の恐れなどから施設内での交際に消極的だという。障害者の権利の中には「異性との付き合い」の権利は含まれていないのか。恋愛や結婚の機会を奪われていて、果たして「よりよく生きる」権利を守られていると言えるのか。
オランダには障害者のための性のボランティアが存在する。男性、女性、同性愛いずれかのボランティアの方が、障害者の希望を叶えるために性のサービスをするという。もちろんそれは本当の恋愛ではない。しかし、はじめから機会を奪われている日本と比較してどちらがより人間の幸福が保障されていると言えるだろうか。
車椅子に乗る青年が、「一度でいいからソープランドというところに出かけて女性を抱いてみたい」と母親に話す。母親は「なんてばかなことを言うの」と叱るが、父親は黙ってお金を握らせる。しかし、どの店でも断られてしまい彼はあきらめて帰る。父親からどうだったかと訊かれて、父親の好意を無にしたくなくて「とっても楽しかった」と答えるというドキュメンタリー番組を以前に見た記憶がある。そのときにオレが感じたやりきれなさは、多くの知的障害者が恋愛の機会を奪われていることと重なり合う。
今年公開された『I am Sam 』という映画では、7歳の知能しかないということで娘から引き離される父親が出てくる。家庭を築くことで彼が手に入れた幸福の重さが理解できる人には、「恋愛禁止」などという馬鹿げた発想は生まれないだろう。
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