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| 2005年10月11日(火) ■ |
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| スコアリング療法 |
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「辻内が19奪三振やって」「延長15回で再試合になったよ」「ノーヒットノーラン見れたわ〜」
友人知人からそんな声を聞くと、いてもたってもいられなくなる。「ああ、見たかった」というより、「スコアつけたかったなあ」という思いの方が強い。世界でただ一つの試合。今自分が見ている試合だって2つとない尊いものだ。頭ではわかっているけど、やっぱりつけてみたい。ノーヒットノーラン、完全試合、延長15回再試合…。ありがたいことに、大逆転の試合は何度かつけたことはあるけど。
そんな私は逆に野球観戦の機会を狭めてきた気がする。まず試合開始に間に合わなかったら行かないし、屋根無し球場で天気の悪い日は行かなくなった。スコアボードのないグラウンドでの試合も疎遠になりつつある。それはいいか悪いかは(たぶん悪い傾向だなあ)わからないけど、スコアをつけることは私にとってある療法に役立っている。
それは早とちり。 社会人としての私がダメなのは、このせいかもしれない。他には思いこみ、勘違い。下手なくせに上の人の顔色をうかがったり、空気を読もうとしておこす行為。とにかく怒られなくないのだ。スコアをつけてても、早とちりが多く、審判の判定を待たずに、「こうだろう」と思い記入したものが違い、紙がグチャグチャになる羽目に。下書きとはいえ、より完璧な下書きを望んでいる(だって、他の人の見ていたらたいていきれいやもん)私、これではいかん。そこで、状況確認(イニング、アウトの数、ランナーの人数と位置)を意識してすることと、審判の判定が出るまでペンを進めないことを決めた。これが今多少の効果を生み始めている。
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