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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2001年12月19日(水) ■
野球ファンを語るシリーズ�� ともきち


 日記を初めて御覧の方のために、「ともきち」を説明させていただきます。

 ともきち。
 滋賀県在住の25歳OL。私の親友。野球は、東山高校オンリー。私が、同校を応援しているのも、このホームページを立ち上げようと決めたのもすべて彼女の影響によるもの。当サイトは、野球やこ難しい教養や言葉に関する知識はいらないのですが、彼女の存在を頭の隅にでも置かれたらより楽しんでいただけるかと思います。

 というわけで…

 野球ファンに、正しいとか正しくないとか言う判断基準はないと思う。また、月日や情報量や費やしたお金と思い入れの深さは関係ないし、その思い入れすら深ければえらいというわけでもない。

 けれど、私はどうがんばっても彼女には及ばないと思っている。彼女の応援姿勢は常に私の一歩も二歩も先を行く。

 学生時代は、つねに彼女が私をひっぱる形で試合を観戦していた。練習試合に行くという習慣も彼女にのるものだ。高校生当時の私の頭の中には、夏の府大会と甲子園しかなかった。秋季大会や春季大会すらそれほど熱心に見ることはなかった。そんな私を半ば強引に練習試合に引っ張り出したのだ。今ではすごく感謝しているけれど。

 社会人になってからは、仕事が忙しくてなかなか試合を見れないでいる。それでも、いつもチームのことを気に掛け、試合を見に行っている私に「どうやった?」とメールをくれる。
 
 土日祝休みの企業に勤める彼女にとって、夏の京都大会は鬼門だ。仕事があって、よほどでない限り見にこれない。対する私は、夜型の仕事に切り替えるか、強行突破で会社を休むか、いっそ会社を辞めるかして、大半の試合をこの目で見てきた。

 社会人としてあるべき姿は、もちろん前者だ。そして、ファンとしてありたい姿も前者なのではないかと思う。はたから見れば、熱心なのは後者の私であるかのように思う方もいるだろう。しかし、それはちょっと違うと思う。もちろん思い入れの強さもあるが、それは一種の執着や意地にもつながっている。本当は、あふれる思いを抑えて仕事をしている方がはるかにしんどい。私は、チームの応援という大義名分をもらって、そういうことから逃げている。試合を見ることにどうしてもこだわってしまう。本当は、応援する気持ちがあればそれでいいはずだ。このところ、彼女を見ていてそう感じる。試合を見ることや、結果や知識や周りの声にはこだわらない。「私はただ好きだから」。それだけ。

 私は、どうしてここまでこだわるんだろう、ガツガツスコアをつけ、試合に出ている選手名を知りたがり、いろんなことを犠牲にして…。もっとおおらかに観戦しないと大事なことを見落としてしまいそう。そういう漠然とした不安にかられるときもある。

 あるとき彼女が言った。

 「野球なんて、“うれしい” “かなしい” “くやしい” “どきどき” “かんど〜”、この5つだけで充分やん」

 ああ、この人にはほんまにかなわへん。そう思った。