2004年11月16日(火) |
『誕生日おめでとう』と『がんばって!!』 |
明日はお母さんの誕生日。
俺は21年間、 お母さんの誕生日を覚えられなかった。 なんで?いや、覚えにくい。 だって1117。 でも今思えば、 「いーーな♪」 って覚えればよかったんだ。
だけど、覚えてなくて、 僕は来年就職する。
妹はもう専門学校出て就職する。 僕は来年の今、家にいないかもしれない。
だから僕から言い出した。
「おかんの誕生日を祝ってあげよう」
22年間、生まれてこの方、 僕は何もあげたことがなかった。 もしかしたら、遠い記憶の中に、 「肩叩き券」みたいな類のものをあげていたのかもしれない。 だけど、そんな遠い記憶だけで、 特別何かをしていたわけじゃない。
そして、僕は今年、誕生日プレゼントを贈ることにしたんだ。
それは、 お母さんの実家の写真と祖父母の写真。 そして、おじいちゃんとおばあちゃんの手紙だった。
妹はバーバリーの何万円もするバックをあげるらしい。 お金のない僕にはそんなものを買えるお金もない。
もっと計画的に生きればきっと貯まったはずだ。
だけど、僕はそれ以上のプレゼントをあげたかった。 それが手紙だったんだ。 そして、写真だったんだ。
お母さんとお父さんは名古屋で出会った。
お母さんが働いていた喫茶店に、 お父さんが入って、
何回目かの時に、 親父がおかんを誘ったそうだ。
親父は最低な男だから、 偽名でおかあさんと付き合っていた。 ちゃんと付き合おうって決めた時に、 親父は初めて名前を明かしたんだ。
お母さんは笑ったらしい。
親父は、三重県松阪市。 お母さんは、熊本県泗水町。 距離にして約900kmもある。
旅の記録にも書こうと思っていたが、 ココにも書いておこう。
僕は、熊本に今年の9月の終わり、 バイクで出かけた。 後輩と走った。 色んな辛さはあったけど、 楽しかった。
熊本県っていう看板が出たときに、 僕は「熊本のにおい」を感じた。
「僕の故郷だ」
と思った。 そして、バイクで走りながら、 意味も分からず泣いたんだった。
僕が将来を決めたのも、熊本だった。 それに関しては「僕が社会福祉士になりたい理由」っていう エッセイを読んでもらったら分かる。
僕がおばあちゃんちに着いたのは、夜中の1時。 おばあちゃんたちは、いつも8時には床に着くのに、 ずっと起きて心配してくれていた。
僕は、1時について、 それから話し始めた。
僕は罪を感じていたんだ。 ずっとそうだった。 熊本で大学や将来を決めた。 僕はこうなるんだって決めたんだ。
誰にそれを告げたわけでもない。 だけど、自分自身に決めたんだった。
だけど、その決めた自分とは全く違う自分がそこにいた。
高校生の僕が僕を睨みつけて、
「お前どういうことなんだよ」
って声が聞こえそうだった。
僕は、泣きながらおばあちゃんと おじいちゃんに夜中に自分の気持ちを伝えた。
僕が祖父母の背中を見て、将来を決めたこと。 僕が今の会社を選んだ理由。 僕が今、何かわからないものに対する後ろめたさを感じていること。 まだ、第一希望で決まった僕なのに、 迷いがあること。
全部泣きながら話した。 とても許されるものではない気がした。
だけど、おじいちゃんたちはね、 目をうるませながら、
「ありがとう」
って言ってくれたんだ。
僕は、僕はずっと罪を感じていたんだ。 僕が僕の選んだ道を歩いていることを、 心から認められなかったんだ。 誰かに認めてほしかった。 それは、この熊本の地でしかダメだと思ったから。
泣いて泣いて、 泣いてしまった。 180cmもあって、 もう22歳にもなってる僕は泣きじゃくってしまった。
でも、そんな僕を、 おじいちゃんたちは、 静かに聞いてくれて、 嬉しかった。
僕はおじいちゃんとおばあちゃんにもう一つお願いをした。
お母さんが誕生日だから、 手紙を書いてあげて欲しいと。
お母さんはね、 きっとずっと寂しかったと思う。
女の子だし、 三重なんて知らない土地で、子どもを育てて、 知らない人と働いて、 たまにはお父さんの帰りも遅くて、 雨が降る日は不安で仕方なかったと思う。
それでもね、 ずっと家にいて、 僕と妹を守ってくれてたんだ。
僕がこんなにも大きくなれて、 妹が立派に働いて、 今生きているのも、 ずっとお母さんって存在がいたからだと思うの。
いっつも強がって、 冷めてるように見えて、 だけど、がんばるところでは、誰よりもがんばる。
そんな姿が僕の憧れだったんだな。
おばあちゃんはね、 帰り際に僕に手紙をくれた。
「しげき君も、家に帰ったら読んでね」
って言われて、 家に帰ってすぐに読んで、 また泣いてしまった。
情けないなぁ俺は。 なんて情けないんだろう。
なんて表現していいか分からない。 僕はどうしてこうなんだろう。
僕は何をしてあげられたのか。 後悔とかじゃなくて、 ただ、歯痒さが たくさん残った。
本当は、 本当はいつも、 ありがとうって。 育ててくれてありがとうって言いたいんだよね。
だけどね、 なんでそんな言葉が恥かしくていえないんだろうね。
そして、なんで小さいことにめげているんだろう。
小さなことにいつもつまずいて、 立てないんじゃないかなんて思ってしまうんだろう。
なんで形あるものでないと、 そうであったとしても、 人はそういう気持ちを忘れてしまうんだろう。
ありがとう。ありがと。 ねぇ。もうホントに。
今ね、午後20時だよ。 親父は21時頃に帰ってきて、 24時まで珍しく起きて、
そんで、3人でおかんを祝ってやるんだ。 そんなの世界も誰も知らないだろう?
俺ら3人しか、 お母さんが生まれたことを祝ってやれないんだよ。
誰も知らずに一日は流れて、 また新しい一日がやってくるのね。
でもさ、 素晴らしいじゃないか。
俺のおかんがいるから、 俺がいるんだと。
僕はその日に気付けるじゃないか。
世界は静かに寝入った頃、 僕はね、お母さんにおめでとうって言うのね。
一番、この世で一番僕が大切な日に、 おめでとうって言うのね。
あなたがいたから、 僕がいるんだよね。
不思議な話だよ。
歴史の教科書にも、 何にも残らないのに、
そう、僕の心にだけ、すげー大切に刻まれる時間なんだ。
お母さんに、 おじいちゃんたちからもらった手紙を見せたら、 どんな顔をするだろう。
きっとすっげぇ喜んでくれるよね。 僕にできる精一杯だったんだ。 僕は愛を探しに行ったんだもん。
僕ね、 同じように、とても大好きな子がいて、 この世の中でその子以上に好きになれる子なんていないって そう思ってた子がいたの。
その子にとって、とても大切な日が明日なのね。
僕はね、 今は思うのさ。
悲しいけれど、 彼女は僕が一番大切じゃないって言うんだから、 だから、仕方ないよね。
だけど、せめて、見守りたいなって思うから。 熊本で、 僕が一番大切な場所で、 メールしたんだ。
「変わらないキミと、 変わっていくキミ、 どちらも僕は見ていきたい」
って。 だけどね、 僕にできる全てをしたけど、 届かないかったの。
そして、結局僕は忘れる為の恋をしている。 ハハ・・・そんなんじゃダメね。 恋なんて呼べないや。
明日はね。 大事な日。
お母さんが生まれた日であって、 俺の大好きな人のきっと一番頑張る日。
明日という一日を、 僕は何より大切にしなきゃいけないな。
そう思ってます。
僕のとても大切な二人へ。 僕のとても大切な詞を送ります。
北風と太陽
頑張り方を 解らないまま 頑張っている 君が好きで
私も何も 解らないけど ただ近くで見て いたかった
きっと私には 他の誰よりも 君の存在が 大きくて
君自身を 見失ったのでしょう 今になって 悲しくなる
人はどうして こんなふうに 後になるほど 思うのでしょう
人はどうして こんなにも 歯痒いほど 不器用でしょう
いつか
もっと正直に 話せたならなあ
もっと素直に 笑えたらなあ
目を潰して しまうほどの 太陽と 僕はいたのかなあ
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