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■ こんな気持ちで日記を書いたのは初めて
ゆず紅茶を飲みながら書いています。 覚王山のカフェで飲んで気に入ったので、 家でもマネして楽しんでます。
さっき紅茶を入れてる時、 自分のしてることを映画のフィルムで観るような感覚だった。 借りてきたビデオを観てた途中だったからだろう。 でもその時思った。 この感覚、ただ過ぎていかないで、しっかり見える感覚。 「死ぬまでにしたい10のこと」とゆう映画のせいかな。 まだ途中なのに、なぜだか日記を書いてる。 寝ない気でもないのに、映画はまだ途中。 まだ観ようと思っているし、お風呂にも入ってないし、 もうやめなきゃ、もうやらなきゃとゆう気もおきない。
その前、ごはんを食べたあと食器を洗ってた時。 お湯を流してお皿をくるくるしながら言葉が浮かんでくる。 イメージと言葉とアイディア。今度書く歌詞の。 仕方ないから手を拭いて紙と鉛筆を急いで用意して書いた。 一度イスに座ったから、ついでに膨らませて書こうと思ったけど、 もうそれ以上もそれ以下も出てこない。 また仕方なく食器洗いの続き。もう出てこない。
近頃、昔けっこう好きだったアーティストの曲を改めて聴く機会があった。 好きだった時期は短かったし、 よく聴き直すことになった曲はカラオケで歌ったこともなかった。 歌詞を何回も読んだ。何回か歌った。 ひっかかりを感じなかったあと、違和感を感じた。 噛み砕けなかったから。 でも突然歌詞の世界は私のものとなって、 その曲は特別になった。 その言葉たちが私にとってどうであるかが重要だった。 どうであるかが突然明白になった時、 私にとって意味を持った。 本当は感覚だけでも良かったし、今も感覚なのかもしれない。
誰かが人に寄りかかろうとする時、 寄りかかられるほうも引っ張られてしまう。 怒りもそう。怒りは怒りを呼ぶだけ。 でも、穏やかに強く、しなやかに優しく、 なろうとすればするほど、それは遠のいてゆく。
無条件で受け入れてくれる存在が、 何も認めないでいてくれることが、 朝日の写真を撮ったと聞くだけで、 本当は何も説明する必要がないことが、 だれもいないことが、 気づけば誰でもいることも、 見えたり見えなかったりすることも、 私には幸せでならない。 イライラするけれど。
2005年01月20日(木)
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