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2020年09月15日(火) ■ |
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「夏」には「惜しむ」という感覚がない |
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(一度も会ったことがない)長い長いお付き合いのメル友から、 「夏だけ終わるっていうのはどうして?」という疑問が投げかけられ、 それなりに調べてみた。 答えになっていないかもしれないけれど、俳句の季語にヒントがある。 「行く春」「行く秋」はいうが「行く夏」「行く冬」と言わないのは、 この季語に「春や秋」を惜しむ想いが含まれているいるからだという。 簡単に言えば、 「春と秋は惜しむに値する季節だが、夏と冬はそうではなかった」 「夏の果(はて)」や「夏終る」という季語がある。 「夏の暑さは衰えをみせず、日差しも強くしぶとい。 したがって過ごしやすい季節の終わりとは自ずと異なる想いが湧く。 厳しい暑気の終わりが見えてきた安堵感の方が強い」から、 やっと「夏」が終わってくれた・・という表現だと思う。 「行く春」「行く秋」は、春・秋を旅人にたとえて、 その後ろ姿を見送るような季語と言われているから、惜しむ。 しかし「夏」は、やっと過ぎ去ってくれた・・という安堵感。 この違いなんだと私なりの意味をつけた。 「冬」にも「終わる」という表現がないのは調べてないけれど、 冬の場合、もう春の兆しが感じられると、嬉しくて、待ち遠しくて 「冬」が厳しかったことなど忘れてしまうからじゃないかな。 でもこの感覚って、住んでいる場所にもよるよね、 静岡は、冬が厳しいって感じたことないもの・・。
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