女房様とお呼びっ!
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2005年03月24日(木) |
死ぬの生きるの 〜M男くんへの100Qによせて |
42. 女王様に「死ね」と言われたら死ねますか? 70. あなたの夢を聞かせてください。
このふたつの設問に対するイリコの回答(上リンク参照下さい)こそ、 まさに「何を夢みたいなことを…」の典型かもしれない。 と同時に、感動したとのご感想を賜ったのも、このふたつだ。 そして、私にあっては、複雑な気分になった。
それらは、あくまでも奴の理想であり夢なのだが、当事者のひとりとしては、 手放しで感動も出来ないし、かといって、ナニイッテンダカと笑い飛ばすことも出来ない。 だから、そこに現実味を見ることなく、その心証だけをありがたく受け取るばかりだ。
まぁ、私にしても、自身のプロフィールの中で、 今わの際に「遣り残したことがある…」と恨みがましく言い置いてコトキレたいとか、 夫と奴隷に介護されて、両者に看取られ、仲良く見送ってもらうのが夢だとか、 ふざけたことを書き散らしているので、おあいこかな(笑。 ホントにそれが実現できるか否かなんてこと考えてたら、夢が夢じゃなくなるものね。
◇
夢を見るのは、人に許された極上の娯楽だ。 手放しで夢を語るのはキモチイイ。 ひとふたりで見る夢ならば、死を視野に入れることで、 夢は一段とロマンチックなものとなり、甘く陶酔できることだろう。 「死ぬまで君を離さない」とか「死んでも一緒よ」とかね。 主従と言わず、恋愛においても、家族や同志の関係においても、 人の絆あるところ、生死は実際の可能性を離れて、深い意味を持つ。
もっとも、掲示板に「殉死と殉生」という投稿を下さったMissyさんと奴の対話に見るように、 主従(上下)関係における生死は現実に近く、一層意味深いものだろう。 相手との関係性において、己が身を捧ぐことを一義とする従側は、 その生も死も相手のためにあると読み替えて、自らに問う。 相手のために死ねるか、あるいは生きて亡骸を拾うか。 そうして導き出される答えは、もはや単なる夢想ではなくなって、 従としての存在意義そのものとなるのかもしれない。
同様の自問自答は、主側にも当然起こりうることで、実際私もそうしたことがある。 っても、対イリコじゃないのが、まことに心苦しい限りなのだが、 初めて主従を結んだ「犬」については、この男は死ねといったら死ぬだろうとか、 いつか殺してしまうかもしれないとか思うだに、肌がそそげたつような感傷に溺れたものだ。 振り返ってみれば、若さゆえの純情だなぁと苦笑するばかりだが、 そのときは本気でそう思ってたものねぇ。 生憎今じゃ、そこまでのロマンは失われてしまったけど。
とはいえ、SMプレイの上で生死を取り沙汰するのは、未だに大好きだ。 好きというよか、衝動として死を見つめてしまうって感じかな。 このまま死ねとか殺してとか。 相手への究極の希求としての死があり、生死を語る背徳に酔う。 それらは、SMにおける快楽のひとつだと思う。
◇
さて、夢を語る娯楽にせよ、背徳に酔う快楽にせよ、 死ぬの生きるのと言ってられるのは、今現在何の問題もなく行き果せているからだろう。 リアルな生き死にが迫っていたら、そんなことは言ってられないと思うもの。
しかしながら、この歳にもなれば、現実的な人の生死はぐっと身近になってきた。 それは、自分の死をも含めて。 私に限っては、近年近しい人を相次いで亡くし、軽軽に生死を語ることが出来なくなった。
昨年のこと、話の流れで「私の告別式には出てね」と言ったら、 「**様が亡くなったことを、私はどうやって知ればいいのでしょう?」と真顔で訊かれた。 その瞬間、私はひどく悲しくなって、思わず声を荒げてしまう。
「あのね、何の為にキミを色んな人に会わせてると思ってるのっ? それに、某さんだって連絡下さるでしょうし、大体夫が連絡するわよ、バカねっ!」
今や身内同然の奴を、誰がないがせにするものか。 やりきれなさに、怒りさえこみ上げてくる。 しかし、奴の懸念はもっともで、私が怒るほうが理不尽だ。 そう思い直して、言葉を重ねた。
「必ず連絡がいくようにしとくから、約束します」
それは、既に夢語りではなく、現実を見据えた約束だ。 本気でそう思っているし、きっと果たす。 万が一私が果たせずとも、夫はその意を汲んでくれると信じている。 だから、約束するんだよ。
それと、たぶんそうなれば、きっといの一番に連絡がいくはずだから、 出来れば死に目に会いにくるように(笑
◇
…と、話が大幅にずれてしまった(汗 先の「殉死と殉生」を巡る対話を経て、奴が寄越した感想を掲げて結びとしよう。
> このような話題の場合、ほとんどM側の自己犠牲の話になりがちです。 > それ自体は誠に感動的で私も大いに同意するのですが、気をつけなくてはならないのは、 > M側のヒロイックな自己陶酔になりがちであるということですね。 > これは自戒しなくてはならないと感じています。
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