女房様とお呼びっ!
DiaryINDEX|past|will
2004年12月15日(水) |
カラダの関係・私の場合 |
元々説教好きの上に年喰うと、昔はヨカッタ的物言いが多くなっていけない。 大方のひとが、若くて勢いのあった頃のほうがヨカッタに決まってるし、 イマドキについてけないから、ついていけてた昔を懐かしむ。 もっともらしく書き散らしているが、要はそういうことだ。
イマドキは、カラダの関係にしても、もっとずっとお手軽なのかもしれない。 女を口説くことに血道を上げる男なんていないのかもしれない。 もしかすると、男が女をどうにかするものという認識自体、時代遅れなのかもしれない。 男女の別なく同等に見当つけては、条件を提示しあって、利害が成立すればOKみたいな。
しかしながら、この辺の私の感性は、 その旧い時代に築かれてしまったので、今更変えようがない。 へぇぇ、イマドキはそうなのね?と感心することはあっても、自分に適用できないのだ。 あたかもそれは、幼い頃に叩き込まれた行儀作法のように、骨の髄まで染みている。
そんなワケで、古いなぁと誹られようが、私は旧来の作法に則るしかない。 ひょっとすると、そのせいで昨今モテないのかもしれないね(笑。 ――最大の理由は、単に年喰ったからであるにしても。
◇
さて、これまで、ノンケの関係の例を引いては、SM関係も同じだ〜 とか誤魔化してきたので、改めてSM関係の部分から紐解いてみよう。 これも改めてとなるが、あくまでも私の場合は…の話なので、 イキオイ昔のことも持ち出そうし、流行らない論に行き着くのは必至だけれど(笑。
ときに、私は、某チャットサイトの自身のプロフィールで、 自分の望むプレイやSM関係について、以下のようにコメントしている。
---
エスエムなんぞヤってると、 「好きなプレイは?」と訊かれることは再々ですが、その度答えに窮します。そこで。 「相手によります…」なんて答えては、お茶を濁してみてるワケですが、すると。 「相手に合わせるんですね?」なーんてコメントされて、更に困る(笑) 「やっぱ、サービスのSですかぁ?」などと言われた日には、いよいよ困る(笑々)
よくよく考えれば、相手の別なく好きなプレイもありましょうが、 単純に好きなプレイをするために、相手が必要なワケじゃないんですね。 一時的にであれ、相手を虜にするために行為する、そういうスタイルです。 だから、合わせることもあれば、サービスもあり。けど、それだけじゃない。 それだけじゃないから、エスエムなんですねぇ。ふっふっふ。
もっとも、その時々のマイブームってのもあります。 照準を合わせられる相手がいないと、結構コロコロ変わる傾向にあり。
---
つまり、私にとって、 SM関係が成立する要件としての「好きなプレイ」は存在しないということだ。 私の要件は「S側に立つこと」が全てで、 プレイは、相手とのSM関係を成立させたり、関係性を具現するものでしかない。
…などと言うと、いかにもな精神論に聞こえるかもしれないが、全く違う。 私が旨とするSM(DSも同様)はプレイが第一義だし、なんといってもプレイが好きだ。 プレイだけの関係が叶うなら、願ってもないことだと思う(※) それは、主従だの恋愛だのに絡む面倒な感情を入れずにすむ、極上の娯楽だからね。
であれば、私と同様にプレイだけの関係を望むM魚も山ほどいることだし、 すんなりカップリングできようものを、これがなかなかうまくいかない。 なぜか?
◇
S女としての魅力に欠けるという根本的な理由はさておいて、どうやら、 この「好きなプレイ」が明確でないことも、M魚の食いつきの悪さを招いているようなのだ。 実は、この原因に思い当たったのは、ごく最近で、今更ながら自身の浅慮に頭を抱えてしまった。
あまねくモテんがために、上記のようにアナウンスしているわけじゃないにしても、 私としては、むしろ、何が出来るとか出来ないとか、 ありがちにして、あまり意味のない――少なくとも私にとっては――ハードル、 のようなものを取り払って、広く門戸を開いた気で得々としていたのだが、 実情に照らせば、それは全く逆効果であったらしいと知り、愕然とした。
◇
前置きが長すぎて、表題の割には具体的なことが殆ど書けてない。 詳しくは次回。
※参考までに過去記事→「ココロ〜カラダだけのSM」
|