女房様とお呼びっ!
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2004年05月01日(土) 何のバチが当たったか 1

これまでだらだらと事の次第を綴ってきたが、
その渦中にあったのは実質昨年5月から6月中旬までのことだ。
イリコの入院騒ぎの後、奴が完全に復調するのを待って、記録を掲げ始めた。

このとき私は、「事態はほぼ終息したような気がする」と書いている。
確かにその頃の私たちの関係は、ほぼ元どおりになっていたと思う。
が、事態があそこまでこじれてしまうと、
終息したとはいえ、どこかわだかまるものがあったのも事実だ。

何事もなかったように振舞うのも不自然だし、かといって、今更話題に引くのも憚られる。
実際不用意に話題してしまって、却って鬱々となったりもした。



もちろん、済んだことには触れないのが賢明だと知っている。
けれど、私は黙ってやり過ごすことが出来なかった。
愚かにも、後に残るカタチで事の次第をつまびらかにするという暴挙に出たワケだ。
それが、再び奴の心をくじる刃になろうこともわかっていた。

表面的にであれ、
折角元どおりになったのに、何ゆえまたも奴を苛むような真似をしたのか?
誤魔化さずいえば、私の中にくすぶる奴への恨みがましい気持ちがそうさせたのだ。

幸いな結果を得てもなお、いや、幸いな結果に終わったからこそ、
一方的で性急な奴の結論に振り回された感が強く残った。
確かに奴も苦しんだろうが、
その片側にあった私にとっての事実や心象を知らしめたいと思った。
それもまた一方的な欲求だと承知していたが、奴には既に一方的を行使された折から、
これでおあいこだろうと自らに言い訳をした。



こうして再開された記事は少なからず奴の心象に影響を及ぼし、
日ごとに届くメールの文言に表れる。
それを注意深く読みながら、慎重に言葉を紡いだ。

あまり追い込みすぎては元の木阿弥になってしまう。
まだまだ修復途中にある私たちの関係は脆く、わずかに気を抜けば再びの悪夢を見るだろう。

そんなある日、奴が寄越したこの一文に酷く引っかかりを覚えた。


> 今でもなお、幾ばくかの寂寥感を感じる時があります。


その前後には、記事を読んでの感想と自らの回想が連ねてあるのだが、
それと「寂寥感」という言葉につながりが見出せなかったのだ。
その言葉だけ捉えても、この状況で寂しさを覚える自体、私の理解に難い。
いったい、奴は何が寂しいのか?…それは、疑問というよりも違和感に近かった。



数日後、じかに対面した折にその疑問をぶつけた。

振り返ればホテルでの一夜よりひと月あまり、
一連の出来事について具体的な話をするのは、これが初めてだった。
奴が体調を崩したこともあるが、何より記憶が生々しいうちに生々しい話をするに怖じたのだ。

このときも、その問いを発するまでに随分躊躇い、神経質に言葉を選んだ。
問うた後、奴の口からどんな答えを導いてしまうのかと怯えもした。

果たして、奴の「寂寥感」の正体が、明快に私に届くことはなかった。
もちろん、奴は真摯に答えてくれたのだが、
奴自身、その全容を言語化できるほど理解していなかったのだろう。

けれども私は、どうにか私なりの理解に辿り着いては、
ここの掲示を一時中断することにしたのだ。


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