女房様とお呼びっ!
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2003年02月11日(火) |
いまさら気づくパラドクス 〜怒るけど怒れない〜 |
先の記事で、自身が「怒りを伝えられない」と表現したけれど、 これはもちろん「怒らない」という意ではなく、当たり前に怒ることはあるワケで。 なので、意識して伝えてないつもりでも、言葉の端々や雰囲気で漏れ出しては、 明確に伝えないがために却って、相手に困惑や不安をもたらしてるのかもしれない。
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殊に相手が、私が与するDS関係の「従」だと、この懸念はほぼ前提としてあって、 更には、立場上私の言は言い下すことになるものだから、実の所かなり気を遣う。 物言う度に、「怒ってるわけじゃないけど・・・」とエクスキューズを欠かせない(笑 この時私が本当に怒ってるか否かによらず、まず相手の不安ありきの措置として。
そして、自己欺瞞でなければ、その殆どの場合、私は実際怒ってやしないのだ。 確かにこう前置きするのは、従にとっては耳の痛い、否定的な事を言う時だけど、 それらは、少なくとも私的には、単なる感想だったり意見だったりするんだね。 あるいは不具合を指摘したり注意したり・・・いずれにしても、根本に怒りはない。
が、いくら前置きしてもなお、従はそれらに「怒り」を見ては怯えてしまう。 その怯えは従の言動に影響し、結果、正常な意思疎通が図れなくなることが多い。 それで私はいよいよ細心の注意を払って、半ばおっかなびっくり物を言うのだが、 正直これは相当に疲れる。覚悟しても納得しても、疲れるものは疲れるのダ(笑。
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こんな状況なものだから、怒りを露わにするなんてもってのほかと思ってたけど、 実質的に怒ったことはあるんだし、とすれば、それは知らず漏れ出ていたんだろう。 しかも、私は自己満足的に怒りを抑えて振舞ってるつもりなんだから、酷い話だ。 その言動と裏腹に伝わる「怒り」に接し、従が感じた困惑や不安は容易に想像がつく。
つまり、本当に怒ったときに、それをきちんと伝えずにいた私のだらしなさが、 些細なことでも、従に「怒り」を想像させてしまう状況を招いてるのではないか。 加えて、更に私がだらしないことには、「怒り」を後になって明かしたりするので、 従としては、いくらその時「怒ってない」と言われても、気が抜けないのは当然だ。
これまで、怒ってもないのに「怒った」と認識される度に、私は苦言を呈したが、 翻って、怒ってるのに「怒ってない」とやり過ごした己の浅ましさに身が震える。 そこに「怒れば従の負担になるから」なんておためごかしの言い訳をしたところで、 怒った事実を伝えもせずに、怒ってない事実は信じろなんて、全く無茶な話だわ。
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確かに、「主の怒り」を最大に恐怖する従に、怒りを伝えるのは酷なことだと思う。 ひとたびそうすれば、従の身に、己の存在価値を疑う程の動揺を招くのは必至だ。 その動揺は心理的なものに留まらず、体調や言動にまで悪影響を及ぼしてしまう。 これは単なる想像でなく実際的な経験則で、だからこそ危惧し、怒れないでいる。
しかし、その結果を怖れて、「怒り」を遠ざけてばかりでいられるはずがない。 私が当たり前に「怒り」の感情を持つ以上、お互い様に乗り越えていかなくてはね。 私は「怒り」を適当に伝えられるように、従はそれを適当に見極められるように。 それがたぶん、今よりもっと誠実な向き合い方だと、漸く気づいたものだから。
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けどねぇ、この歳まで自分を甘やかして、ヘタレに育ててしまった私にとって、 この「怒りを適当に伝える」なんて人並みのことが、実は非常に難しかったりする。 従にしても、その特殊な立場にあれば、人並みの判断を働かせるのは難しかろう。 うわわ、大層なコト言ってみたけど、目指す道のりは遠いワネ。頑張りましょう。
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