女房様とお呼びっ!
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「全部、アタシが悪いのよッ」 ・・・そう言い放ったことが、何度もあります。
自分が関わる問題に悩まされて、追いつめられて、疲れ果てて、 そして、思わず縋ってしまうのは、いつもこの結論でした。若い頃。 何かの問題が起こった時に、自分と自分以外を冷静に見つめて、 客観的に考えるのは、とても難しいものです。
仮に、今自分の抱えている問題と、全く同じ状況について、 他人から相談されたとしたら、私は第三者として冷静に考えられることでしょう。 まさか、「全部、アナタが悪いのよ」という断を下したりしないはずです。 万一、どう考えても、「全て当人に非がある」と結論しても、 その結論は具体的で、実のある善後策も立てられると思うのです。
一方、「全部、アタシが悪い」という思いに捕らわれるとき、 それは、全ての事柄から逃げていることになりましょう。 その問題に関わる周りの人も、苦悩の元たる同じ渦中にあることを見ず、 自分だけが、考えることを放棄してしまう・・・。 全てが自分のせいだと思うのは、 一見自己犠牲的で自らに言い訳も立つのですが、 実は、責任逃れの自分勝手な逃避かもしれないのです。
何故、逃げてしまうのか? 自分や、他人について、考える誠意や責任感がないのか? 問題を解決するだけの力、思考力だの根気だのが、ないのか?
そうではなかったと思います。 「どうでもいいや」とか「もう駄目だ」と思う時、 そう思う一瞬手前まで、「どうにかしたい」と頑張っていたはずです。
しかし、人がイキモノである以上、走り続ければ疲れます。 疲れたならば、走るのをやめれば良いんだろうけど、そうも行かない・・・。 そのジレンマの中で、更なる疲労が募っていきます。
この先も、走り続けなければならないのなら、走り続けたいのなら、 「疲れを癒すために、一旦休めばいい」という、とても単純な思いつきさえ、 疲弊し切った体や精神は、思い出せなくなってしまうのです。 そして、全てを停止させる極論に達したりします。
私は、これまでに、幾度も後悔しています。 「全部、アタシが悪いのよ」と開き直り、床に這う私を前に、 私を取り巻く周りの人は、その事態にこそ困り、悲しい思いをしたんだろうな。 疲れ切る前に、休めば良かっただけなのにね。
疲れたら、休もう。 自分や他の人が大切で、だからこそ頑張っているキミ。 私もキミのことが大切だから、一層そう思うのです。
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