女房様とお呼びっ!
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2001年08月31日(金) ツカレタラヤスモウ

「全部、アタシが悪いのよッ」
・・・そう言い放ったことが、何度もあります。

自分が関わる問題に悩まされて、追いつめられて、疲れ果てて、
そして、思わず縋ってしまうのは、いつもこの結論でした。若い頃。
何かの問題が起こった時に、自分と自分以外を冷静に見つめて、
客観的に考えるのは、とても難しいものです。

仮に、今自分の抱えている問題と、全く同じ状況について、
他人から相談されたとしたら、私は第三者として冷静に考えられることでしょう。
まさか、「全部、アナタが悪いのよ」という断を下したりしないはずです。
万一、どう考えても、「全て当人に非がある」と結論しても、
その結論は具体的で、実のある善後策も立てられると思うのです。

一方、「全部、アタシが悪い」という思いに捕らわれるとき、
それは、全ての事柄から逃げていることになりましょう。
その問題に関わる周りの人も、苦悩の元たる同じ渦中にあることを見ず、
自分だけが、考えることを放棄してしまう・・・。
全てが自分のせいだと思うのは、
一見自己犠牲的で自らに言い訳も立つのですが、
実は、責任逃れの自分勝手な逃避かもしれないのです。


何故、逃げてしまうのか?
自分や、他人について、考える誠意や責任感がないのか?
問題を解決するだけの力、思考力だの根気だのが、ないのか?

そうではなかったと思います。
「どうでもいいや」とか「もう駄目だ」と思う時、
そう思う一瞬手前まで、「どうにかしたい」と頑張っていたはずです。

しかし、人がイキモノである以上、走り続ければ疲れます。
疲れたならば、走るのをやめれば良いんだろうけど、そうも行かない・・・。
そのジレンマの中で、更なる疲労が募っていきます。

この先も、走り続けなければならないのなら、走り続けたいのなら、
「疲れを癒すために、一旦休めばいい」という、とても単純な思いつきさえ、
疲弊し切った体や精神は、思い出せなくなってしまうのです。
そして、全てを停止させる極論に達したりします。


私は、これまでに、幾度も後悔しています。
「全部、アタシが悪いのよ」と開き直り、床に這う私を前に、
私を取り巻く周りの人は、その事態にこそ困り、悲しい思いをしたんだろうな。
疲れ切る前に、休めば良かっただけなのにね。

疲れたら、休もう。
自分や他の人が大切で、だからこそ頑張っているキミ。
私もキミのことが大切だから、一層そう思うのです。


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