2004年04月23日(金) |
雑文・代表チームへの距離感 |
*以下の雑文は24日(土)朝に書いたもの。
今日の五輪予選準決勝、日本−北朝鮮戦で北朝鮮サイドが大幅な動員を掛けるという。下手すると国立がアウェイになってしまうかもしれない。そうなれば最近のファンにとってはショッキングな光景かもしれないが、日本のホームゲームが海外のそれに近い雰囲気(と言うにはかなりヌルいが)を持つようになったのはごく最近の話である。
80年代には代表ゲームの観客は必ずしも日本代表が目当てではなかった。キリンカップなど、むしろ対戦相手に憧れて足を運んだファンのほうが多かったはずだ。ファンの間でも日本リーグのスターの知名度は高くはなかった。初めて日本代表を生で観たキリンカップ、西京極でのパルメイラス戦など日本代表は主役でもなんでもなかった。観客が観たいのは本場ブラジルのテクニックとその一員としてプレーするカズだった。結局カズは何も出来なかったのだが。判官びいきの心情から日本代表を応援する気持ちもなくはないが、パルメイラスの素晴しいテクニックにスタジアムは酔っていた。
子供は素直だ。別に私やその周囲がひねくれていたわけでもなかった。より魅力的なサッカーに惹かれた結果、日本代表への自己同一感を持てなかったのだ。この年のキリンカップ決勝はパルメイラスと、奥寺やオッツェのいたヴェルダー・ブレーメンの間で行なわれ、ジャンピング・ハイボレー2発でブレーメンが優勝した。もし日本代表が2強を押しのけて決勝に出ていれば、私は素直にがっかりしていただろう。
今でも私の日本代表に対するスタンスは変わっていない。目の前のゲームで、より魅力的なチームを応援する。日本代表も数ある代表チームのひとつに過ぎない。無論ある種の自己同一化は感じる。しかし無条件に高槻のチーム・大阪のチームを応援しないのと同様、日本代表に対する応援も無原則ではない。トルシエのサッカーは高く買っているつもりだが、好みからは外れるし、ジーコのそれは評価しようもない。シンガポールよりは魅力的だが。
地域に対する帰属意識を持てない人の中には、いきなり国家レベルで「内」と「外」を線引きしてしまうケースも多いことだと思う。職能や言語など海外で生きていくスキルのない、もしくは身につける自身や見込みの無い人ならなおのこと。右翼思想の中に地域社会、それもご近所レベルのものはあまり感じられない。
在日の人たちの地域意識はまた複雑なものだ。いや日本人社会に対する不平や悪口ならスラスラ出てくるのだが(笑)。ただ北朝鮮国家の「内」と「外」の線引きはかなり無理があるというか、とっくにその線をある意味超えていると思う。北朝鮮代表に対する熱狂を保つのも大変だろう。最近は代表入りを辞退する在日選手も出てきている。
今日のゲームではより魅力的な日本代表を応援する。元々韓国・北朝鮮のサッカーは好みから程遠い。W杯での上田氏のサッカーには強い不満を感じたし支持も出来ないが個々の選手は日本のほうがはるかに魅力的だ。引いてカウンターが鉄則。W杯みたいにFWが高い位置での無用なプレスで消耗する一方ラインが下がりすぎたり、カウンターの約束事がなく遅攻続きなんてことが無い様に祈る。後は選手達がいかにしたたかに戦うかだ。
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