凪の日々
■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■
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久しぶりの田舎は完全な間違い探し状態。 記憶の中のソレと目の前に広がるソレが微妙にずれている。 さて、違うのはどこでしょう。
「えっと、ここ、こんな店だったっけ」 「あ、コンビニが増えている」 「ここのカラオケボックスは健在」 「えっと…確かこの辺には何々があったはずだったけど」
前回も記憶を修正したはずなのに、「あ、そっか、ここはこの前来た時もあったっけ」とやはり修正出来ていない事に気づく。 自分がそこで密に過ごした時間で記憶は頑固に焼きついていて、その後上書き保存しようとしても、やっぱり別ファイルとして保存されていて、上書きされないままの古いデータが自然に呼び出され、そのデータが古い事に気づいてから新しいデータを検索する感じ。
子供の頃、迷子のおばあさんを見たことがある。 所在なげに、心細げに、ただふらふらと同じ場所を歩き回るおばあさん。 後から大人達が「あそこは●さんの里があった場所だからねぇ」と話していた。 子供心に、あんな年寄りになっても、自分が嫁いで子を産み育て、妻として親として過ごした家庭より、生まれて育ててもらった子供時代の数年間の記憶が残るのか、ととても不思議な気分だった。 おばあさんの生まれ育った家は、もうそこには無かった。 記憶の中の風景を頼りに歩いていっても、目の前に広がるソレは明らかに違うソレで。 途方に暮れていたおばあさんの姿。 子供達が近所の大人を呼びに行き、その後やってきたどこかの大人に肩を抱かれるようにしてとぼとぼと帰っていったおばあさんの後ろ姿が忘れられない。
私も、あの年になったら、記憶の中の風景を探して回るようになるんだろうか。 その時、どの年代の記憶が残っているんだろう。 それはおそらく、自分が一番幸せだった年代の記憶だろう。 私は、どの風景で、何を探して歩き回るだろう。
帰省先の風景を見ながら、ぼんやり思った年末年始。
暁
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