凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2006年09月12日(火)

今月はお彼岸。
だけど、お彼岸に墓参りに帰省した事が一度も無い。
というか、「お彼岸に墓参り」という発想が夫に無いように見える。
結婚してから一度も提案してきた事はないし、私が提案しても「なんで?」とか「忙しいし」とまったく気乗りじゃないのでもう私も言わなくなった。


夫の生家の墓は坂道を上り詰めた畑の道沿いにぽつんとある。
私有地に墓を建てる事って今も出来るんだっけ?
共同墓地が普通だと思うので、とても奇妙に思える。
何が奇妙って、夫の生家の地域もちゃんと共同墓地があるから。
今年の夏、夫の従兄弟の初盆で、初めて共同墓地に行った。
結婚して何年も経つのに、そういえば親戚の墓に参るのは初めてだ。
自分の家の墓すら、私が「墓参り行かないと」と言わないと、夫は行こうとしない。
そういう当たり前の事にまったく関心がない非常識な人間というか、信仰心が欠落した人というか、人間として莫迦な男だと思う。
大好きな叔父さんが無くなった時は散々落ち込んでいたくせに、その後墓参りなんか一度もした事ない人だ。

私は信心深い祖母に育てられたので、仏壇のある家にお邪魔した時は、まず仏壇にお参りするのが当たり前だと思っている。
だから、夫は実家に戻った時にご仏壇にお参りをしない、というのが信じられない。
その家の核、総ての根源、そこにまず挨拶してから一息つくものだ。
信仰とか、宗教とかじゃなく、DNAの螺旋の過去に繋がる者達に、その先に繋がっている我々が、先人の苦労や喜びやあらゆるものに思いを馳せその苦労を偲び労い感謝するのは当然の事だと思う。
「ご先祖様へ感謝の心」というとなんか仏壇かなんかの安っぽいキャッチコピーみたいだけれど、それは忘れてはいけないものだと思う。
「有難い」というのは「有るのが難しい」という意味だ。
有るのが難しいのに有る。それはとても感謝しなきゃいけない事だ。
その気持ちは忘れてはいけないと思う。

そういう部分も、人間として、夫を信頼できない原因の一つになっているんだろうと思う。


共同墓地には墓石の他に土神様を祭る石がどの墓にもあった。
夫の家の墓にもあったけど、何せ夫の家の墓しか見た事が無かったので、夫の家だけの事かと思っていた。
農業主体のこの地域では、昔から土神様を祭るらしい。そうなのか。

夫の家は弟夫婦が次いで立派に農業を続けている。
弟さんは土に感謝し、天気に感謝し、親に、地域の人たちに、自分の周りの総てに感謝し、繋がりを大事にして頑張って生きていて、とても偉いと思う。
天地がひっくり返っても、夫に農業は次げなかっただろう。
0と1の組み合わせで総てが始まり総てが終わる無機質な世界が夫に最適の世界だと確かに思う。





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