凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2005年07月22日(金)

スイミングのテストの日。
幼稚園OBのお姉ちゃん達と一緒にプールへ行ったアイは落ち込んで帰ってきた。
「どうしたの?」と聞くと「テスト、ごうかくしなかった」との事。
あらら、そりゃ落ち込むね。
「じゃぁ夏休みはプール頑張ろう。次のテストは受かるように一生懸命練習しようね」と慰める。
落ち込んだままのアイは「アイちゃんがかなしいと、おかあさんはうれしい?」とわけのわからない事を聞いてくる。
「なんで?」と驚いて聞くと、お姉ちゃん達に「アイちゃんがテスト落ちたらあたし達合格するからアイちゃん落ちたらいいのに」とわけのわからない事を言われたらしい。
そしてそのとおり、アイは落ちて、お姉ちゃん達は合格したので、かなりショックを受けてしまったよう。

あららー子供ってそういう意地悪言うよねぇ。
でもだからといってそれを100%真に受けるアイもどうかと。
いや、これも子供だから仕方ないのか。

「アイが悲しい時はお母さんも悲しいよ。アイが嬉しい時はお母さんも嬉しい。それが親子っていうの。アイちゃんがテスト落ちてがっかりしてたらお母さんもがっかりするし、合格して嬉しかったらお母さんも嬉しい。それが当たり前なのよ」と言い聞かせる。
「●ちゃん達はアイよりお姉さんだから、アイが自分より上手になったらいやだなーと思ったのね。アイも年長さんのH君がアイが出来ない逆上がりを上手にするのが羨ましいでしょ?そういう気分だったんだよ。でも気にしなくていいの。アイはアイのペースで練習していけばいいから。」
これで説明になっているかなー納得してもらえるかなーそもそもこの説明でいいのかなー
悩みつつもアイを見て話す。
アイは納得したのかどうか、「うん」と小さくうなずく。
「とにかく、アイが悲しいのをお母さんは喜んだりしないよ。アイが悲しい時は悲しいし、嬉しい時は嬉しいの、アイと一緒なんだからね」
くどいほど念を押す。
ここを履き違えられると後々面倒だ。
幼児期って何がトラウマになるんだかわからないから怖い。
何があっても、親の愛だけはなくならないのだ、としっかりしたものを植えつけておかなきゃ。
こういう点で無宗教は不利なのかな。
「どんな時もカミサマは見てらっしゃる」という究極の気休めがあれば、生きるのも結構どうにかなるのかもしれないなぁ。
親鸞聖人の教えでも話して聞かせるか。(←おい)
でも宗教はキライ。それこそ、履き違えると面倒だから。





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