2010年09月24日(金)
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楽しく働くということ
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仕事から帰り、妻が夕飯を用意してくれるのを待つ間、居間のテーブルの上に自分が書いた記事が載った明日の朝刊のゲラを置く。料理が出そろって、妻は向い斜め前の席に座り、ゲラを手に取って目を通す。「今日も仕事しなかったよ」と茶化したり「今日は忙しかった」と言ったりする俺に、たいていは「お疲れ様でした」とだけ言ってくれる。結婚してからの我が家の習慣。
1回だけ「集大成だね」と言われたことがあった。たまたま出張が続いた時のことで、傍目に大変そうにみえて、気遣ってくれたのかどうか。とにかく普段は、ただ目を通して、特に批評も感想もなく、多くは聞かない。俺も詳しい説明はしない。そういう態度でいてくれることを、ありがたく思っている。 ***** 8月の終わり。実家に帰ったとき、いつものように父と酒を飲んだ。日本酒だか焼酎だか、2人でビン1本かそこらだったからたいした量じゃない。いつものように2人で酔っ払って、いつものように父が色々話して、いつものように俺は相槌を打って、今回、父が何度か「いい記事を書いてくれ」と言った。 ***** 新聞記者として働いて、はや7年目になる。大なり小なり何千本かの記事は書いた。その中で、「いい記事」って、どれくらいあったかなと考える。直近1年でもいい。どれくらいあったかなと考える。7年も同じことをやっていれば、仕事は惰性で片付けられるようにもなる。無我夢中でやる時もあるけれど、大抵はルーティンに流されて今に至っているというのが正直な実感。
昔、会社に入りたてのころ、「仕事は楽しくやらなきゃダメだ」と先輩に言われたことを今も覚えている。当時は何もかもいっぱいいっぱいで「楽しく」なんて無理だった。経験を積んで多少の余力もあるいま、じゃあ自分は楽しく働けているか考える。「楽しく」の定義は色々だけど、新聞記者としては「いい記事を書いた」と納得できることが最低条件だと理解している。 ***** テーブルの上においたゲラを、いま1歳の息子は、たまにオモチャとしてクシャクシャにしたりして遊ぶ。何年後か、今と同じようにして持ち帰るゲラを見て、何か尋ねてくるかもしれない。そのときに彼が、「父ちゃんは楽しく働いているんだ」と思えるよう、きちんと話せる自分になっているか、考える。
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